Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「2016年2月の読書リスト」

「明けましておめでとうございます」という時候の挨拶から、あっという間に2ヶ月が経過した。今年も1/6が経過したということになる。 年明け早々に国会が開会してからというもの、大臣・与党議員のスキャンダルや問題発言が頻発した。先月書いたように、あまり大臣の「口利き疑惑」にはじまり、丸川環境相原発被害についての暴言、島尻北方問題担当相が「歯舞諸島」を読めなかったこと(担当大臣なのに!)高市総務省の「放送法に基づくテレビ局の停波発言、そして宮崎議員の「育休」が、実は不倫のためでした、という破廉恥なスキャンダル。これらの問題行動のうち、甘利は大臣を辞めたが議席はそのまま、秘書たちも姿を見せず、与党は証人喚問に応じないという不誠実。丸川・島尻両大臣は口だけの「お詫び」だけに終始。宮崎議員は議員辞職に追い込まれたが、今後は「髪結い亭主」として妻の尻に敷かれっぱなしになることになりそうだ。あまり報道されていないが、法務大臣TPP著作権法の問題について答弁不能になる、という不勉強ぶり。どれもこれも10年以上前なら、一つだけでも内閣が吹っ飛ぶ超弩級のスキャンダルだが、ふがいない野党の体たらくに加え、政権べったりのメディアのおかげで、なぜか内閣支持率は高止まりのまま。「このままではまずい」と、ようやく「民主党」と「維新の会」が合流を決めたが、掲げる政策によっては、単なる「数あわせ」に終わる可能性も捨てきれない アメリカでは、冷戦時代の「共産主義アレルギー」の影響で、長らく「社民主義アレルギー」だったが、今度の大統領選で自らを「社会主義者」と言い切るサンダース上院議員が旋風を巻き起こしている。その背景には、広がる一方の格差問題がある。アメリカでも奨学金を払えず、生活苦にあえぐケースが急増している。学歴がないから、低賃金かつ不安定な雇用期間の仕事しかない。それを打破するに、大学に行くしかない。高額な「奨学金ローン」を借りて大学で学位を取得しても、希望に見合った仕事にありつけない。さらに上を目指して大学院に行くが、それでもいい条件の仕事は奪い合いになっているという、負のスパイラル。アメリカの貧困状況について書かれた「ルポ貧困大国アメリカ」は、このブログにも取り上げたが、現状は10年前よりさらに悪化している。貧困にあえぐ彼らの状況を見かねたサンダースは、公約に「すべての公立大学教育の無料化」「富裕層に対する課税強化」を掲げ、貧困層や若者の支持を獲得している。残念ながら⒉日に行われた「スーパーチューズデー」では、ヒラリー・クリントンの後塵を拝する結果になったが、彼の公約は、さすがにヒラリーも口にせざるを得ないところにまでになっている。もっともヒラリーは、大学教育無料化については、最初は「無理だ」と行っていたから、本気で取り組むかどうかは甚だあやしいが。 日本の状況は、アメリカよりも清国といえるかも知れない。何しろ、1970~80年代に一時代を築いた「革新陣営」に代表される、社民主義を掲げる政治勢力の没落が止まらないのだ。日本で「社民主義」の旗を掲げる社民党は少数派に転落し、野党第一党民主党左派は、党内で主導権をとれない有様。安倍政権に批判的態度をとる知識人やSEALDsなどは「社民主義復権」を掲げて闘っているが、肝心の野党指導者には、その声が届かないのがもどかしい。 それでは、2月に読んだ本のご紹介。

世界金融危機 (岩波ブックレット)世界金融危機 (岩波ブックレット) 読了日:2月13日 著者:金子勝,アンドリューデウィット
文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫)文学とは何か――現代批評理論への招待(上) (岩波文庫) 読了日:2月15日 著者:テリー・イーグルトン
ブタカン!: ~池谷美咲の演劇部日誌~ (新潮文庫nex)ブタカン!: ~池谷美咲の演劇部日誌~ (新潮文庫nex) 読了日:2月19日 著者:青柳碧人
ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学ソーシャル物理学:「良いアイデアはいかに広がるか」の新しい科学 読了日:2月25日 著者:アレックス・ペントランド
月刊少女野崎くん (4) (ガンガンコミックスONLINE)月刊少女野崎くん (4) (ガンガンコミックスONLINE) 読了日:2月29日 著者:椿いづみ

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「世界金融危機 」

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「2016年1月の読書リスト」

あ・あ・あ……や〜れやれ、という感じである。 TPP推進など、安倍内閣の経済政策の司令塔として動いていた甘利明内閣府特命担当大臣が、不祥事で大臣辞任に追い込まれた。不祥事の規模からいっても、これまでだったら内閣総辞職レベル、それでなくても衆議院を解散してもおかしくないほどの大スキャンダルなのに、なぜか「内閣支持率」の数字が上がっているというのだから、本当にわけがわからない。国民は、本当にこの政権の政策を支持しているのだろうか?それとも夜ごと安倍と会食している「大メディア」幹部の以降を、現場の記者が忖度した結果なのだろうか?前者だったら、戦後70周年書けて政府が施してきた愚民化政策の成果であり、後者だとしたら、メディアの堕落腐敗ぶりもここまで来たのか、と嘆息せずにいられなくなる。 それでは野党や市民運動サイドはどうなのか…というと「頭にくる」を通り越し、ただただ絶句するのみである。 野党五党(民主・維新の会・生活・共産・社民。もちろん「おおさか維新の会」は野党じゃないからね)は、この夏に行われる参議院選挙で「野党統一候補」を擁立して、安倍政権に対抗するといっている。だがその中心となるべく民主党の姿勢が、いつまでたっても定まらない。参議院選の最大のテーマは、誰がどう見ても「改憲」「反原発」のはずである。ところが新潟では、一度「野党統一候補」を建てるつもりで動いてはずの民主党が、態度を一転して自党から候補を擁立することを決めてしまった。その背景には、原発再稼働に固執する電力労連の意向を受けた「連合」が、脱原発を公約に掲げる候補者の支援を拒否したからだ。心ある一は安倍総理を「KY」というが、本当の「KY」はこいつsらなのでは?と思ってしまう。 そして市民運動の側を見たら、こちらも「何だかな〜_| ̄|○」と、こちらの気持ちが萎えてしまいそうな記事を見てしまった。 こちらの記事では瀬戸内寂聴とSEALDsのメンバーが対談しているが、どう見ても彼らには弱者に寄り添う姿勢が見えてこない。 「自分たちは社会に役に立つ活動をしていまーす!うふふっ」 という雰囲気漂うこの対談、瀬戸内寂聴はしきりに恋愛を話題にしているけれど、貧乏な男性にとっては戦争があろうとなかろうと、恋愛する権利も余裕もないのだよ。彼女たちには、自分たちよりも生活レベルも知性も低い男性のことなんか、おおよそ眼中にないだろう。安倍内閣の支持率がなかなか下がらないのも、低学歴層がインテリ層に対する恨み辛みを、安倍政権が晴らしてくれると思っているからに違いない。彼らにとっては「反戦」よりも「バカにされてきた自分たちの自尊心を回復すること」を優先するのだろう。

さて、先月読んだ本の紹介。 先月はそうでもないが、ここ最近は経済や自然科学、そして哲学に関心がある。来月以降は、これらの分野の本を紹介することが多くなるだろう、と宣言しておく。

生きさせろ! 難民化する若者たち生きさせろ! 難民化する若者たち

読了日:1月1日 著者:雨宮処凛
時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈中編〉 (ハルキ文庫)時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈中編〉 (ハルキ文庫

読了日:1月3日 著者:眉村卓
戦争に強くなる本 入門・太平洋戦争―どの本を読み、どんな知識を身につけるべきか戦争に強くなる本 入門・太平洋戦争―どの本を読み、どんな知識を身につけるべきか

読了日:1月9日 著者:林信吾
紛争の心理学―融合の炎のワーク (講談社現代新書)紛争の心理学―融合の炎のワーク (講談社現代新書) 読了日:1月13日 著者:アーノルドミンデル
セックスと恋愛の経済学: 超名門ブリティッシュ・コロンビア大学講師の人気授業セックスと恋愛の経済学: 超名門ブリティッシュ・コロンビア大学講師の人気授業 読了日:1月14日 著者:マリナアドシェイド
恋よりブタカン!: 池谷美咲の演劇部日誌 (新潮文庫nex)恋よりブタカン!: 池谷美咲の演劇部日誌 (新潮文庫nex) 読了日:1月20日 著者:青柳碧人
モア・リポートNOW〈3〉からだと性の大百科 (集英社文庫)モア・リポートNOW〈3〉からだと性の大百科 (集英社文庫) 読了日:1月25日 著者:モアリポート班
ちはやふる(30) (BE LOVE KC)ちはやふる(30) (BE LOVE KC) 読了日:1月26日 著者:末次由紀
時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈後編〉 (ハルキ文庫)時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈後編〉 (ハルキ文庫) 読了日:1月30日 著者:眉村卓

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「戦争に強くなる本 入門・太平洋戦争―どの本を読み、どんな知識を身につけるべきか」

小泉内閣が発足した2001年、日本国内は一冊の教科書をめぐって、国内を二分する大騒動になったことを、みなさんは覚えているだろうか?。 その教科書とは、新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」)が編纂した「新しい歴史)」である。この教科書は他社発行の教科書に比べて復古調が著しく強いのが特徴である。歴史上「存在したかどうか」あやしいと思われる日本神話の概念を大々的に導入し、国民に「忠信報国」の精神を植え付けようとするなど、いろんな意味で問題が多い「教科書」である。この「教科書」の採択をめぐり、採択派と反採択派の間で大論争を引き起こした。朝鮮半島における日本の植民地政策を肯定していること、日中間における歴史認識問題の火種の一つである「南京大虐殺」を否定していることから、中国や韓国などのアジア諸国もこの教科書にあからさまな不快感を示した。激烈を極めた採択・不採択運動の結果、大多数の公立学校では不採択になったが、一部の私立学校や養護学校では採択が決まった。「つくる会」はその後運動方針を巡って分裂したが、その後継団体が発行する教科書を採択する学校は今もある。彼らは戦後の歴史教育を「自虐史観」と非難するが、昨年(2015年)、晴れて100歳を迎えた三笠宮崇仁親王は「南京大虐殺」について 「人数ではなく、実際にあったことが問題なのだ」 として、南京で虐殺が起こったことを認めている。しかし右派・復古派の多くは、その発言を黙殺している。この本は、「つくる会」の教科書採択騒動が落ち着いた頃に出版された。田原総一郎がとあるシンポにパネラーとして出席したとき 「1990年代以前の歴史書は左派の視点で書かれたのが多かったが、それ以降の歴史書は保守・反動の視点で書かれたものが目立つ」 と指摘しという話を聞いたことがある。私は著者のことをよく知らなかったために、この本もその視点で書かれたものであるという先入観を持っていたのだが、最終章を読んで「この著者は信用できる」と確信し、我が家の書庫に収まった。ちなみに初版のオビには 「日本はなぜ戦い、なぜ敗れたのか。『事実』に近づくためのガイドブック」 「『新しい歴史教科書』よりも正しい戦史を読もう」 と書かれている。実際、この本はもっと広く読まれるべき本であり、これだけ読めば日本近代史の最低限の知識が身に付くようになっている。この本を日本近代史の入門書として位置づけ、この本で推薦されている本を片っ端から読み進めれば、あなたの日本近代史の知識はかなりのものになっているだろう。 この本では、ベストセラーになった自称「ゴーマニスト」漫画家・小林よしのりの書いた戦争論を、最終章「買ってはいけない」に設けられた「話にならない」という項目で扱っている。彼の「戦争論」は、絵は迫力はあるがお世辞にもうまいとはいえず、一時の感情にまかせて書かれた文章はまるで筋が通っておらず、歴史的な間違いが多すぎるため、読み通すのにはかなり根気がいる作品である。同じ事は著者も感じていたようで、のっけから「このマンガ、見るたびに疲れる」とぼやいている。この本は小林自身に専門的な軍事知識がなく、偏向した思想の持ち主から薦められた本を片っ端から読みふけった結果としてできたものらしい。内容があまりにひどいために、水木しげる石坂啓らが中心になって「反・戦争論」なる本が出版されほどで、反戦主義者からは完全に「トンでも」本扱いされている。著者は本書で 「本もろくすっぽ読まずに目を通すのはマンガだけ、という人間がそんな本を読んで、多少は戦史を勉強したつもりになっているとしたら困ったものだ」 と嘆いているが、その通りだと思う。 「歴史は繰り返す」という言葉があるが、この本を見て感じることは、日本はいったい先の大戦から、いったい何を学んだのかということである。メディアは戦時中 「すすめ一億火の玉だ」 「撃ちてし止まん」 という勇ましい言葉で国民を煽っておきながら、いざ終わったら「一億総懺悔」の言葉とともに責任の所在を曖昧にしてしまった。 大本営の参謀達はもっとひどい。インパール作戦では、作戦遂行上の基本である補給(今でいう「後方支援」)を考慮に入れず、参謀本部の地図だけを頼りに作戦を練っていたという。参謀本部の中には 「現場はジャングルなのだから、仮に食料がなくなっても野草でしのげる」 などと平然と発言する人間がもいたそうだが、この話を聞いて頭がいたくなる人間がほとんどだろう。高級参謀になるには、陸大(陸軍大学)、海大(海軍大学校)」で実施される「ペーパーテスト」で高得点をとる必要がある。だが士官学校や各大学校で教えられる内容は、日清・日露戦争での勝ち戦をマニュアル化されたものが中心で、他には「戦時訓」に代表されるような、精神的なものが重視された。ここまで書いたら、賢明な人は昔の士官学校教育機関でどんな教育がなされていたか、おおよそ見当がつくだろう。近代戦に必要な知識が皆無な彼らは、一部の例外を除いて前線に出撃しなかった。出撃しても上官の命令を無視して、平然と安全な場所に勝手に戻ってイスにふんぞり返り、自分たちの責任を回避することに汲々としていた。「昔軍隊、今官僚」と皮肉った新聞があったが、この体質は今の官僚達にもしっかり受け継がれている。 兵器の生産及び運用面に関しても、陸軍で使う鉄砲は職人芸が頼りで大量生産ができず、設計図は「あってなきがごとし」。インフラ整備も進んでなかったから、飛行機の部品は牛車(!)で運んでいたという。飛行場まで運ぶ道路が舗装されておらず、精密機械である飛行機が壊れないようにという配慮だったらしいが、この他にも「神の国」といわれた、第二次大戦中の大日本帝国の内情の呆れた実態があますことなく明らかにされている。戦闘機のパイロット育成も一部エリートだけを対象にした教育だから、戦争後半にはまともな空中戦ができるパイロットがいなくなった。さらに飛行機は陸海軍でつまらない意地を張り合った結果、規格がまったく違う飛行機だらけになった。「昔は全国民が一致して国防に当たった」という意見が時たま出てくるが、これらの事実を知る限り、そんなのはウソッパチであるということがこれでわかるだろう。この記事で取り上げた事例はほんの一部に過ぎず、他にも「茫然自失」のエピソードがポンポン出てくる。 兵器生産システムも確立せず、教育も一部 エリート育成だけに全勢力を注ぎ、「国体」という名の「天皇制」崩壊を怖れて(というか、国民の権利意識を怖れていたのかもしれない。だから共産党を徹底的に弾圧したのだろう)、一般庶民のレベルアップには何ら関心を持たなかったツケとなって回ったのである。つい最近も「凡才は、お上に逆らわない程度の知性があればよろしい」という高名な作家の意見を読んだが、この本を読み通せば、この意見は極めて危険であるということがこれでわかるだろう。 この本が出版された2001年当時に比べて、日本国内の右傾化は進む一方である。本書で批判対象になっている小林ですら、かつて自分を支持していたネトウヨについて 「国家というものを持ち出しさえすれば自分自身の自意識を底上げできる、という人間が増えた。立場の異なる人を『左翼」』だとか『売国奴』などと非難しつつ、自分は尊大に振る舞う、そのために国家や日の丸が利用されてきていることに、わし自身は嫌悪感を覚えることがある」 「ネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っておけば保守なんだ、愛国者なんだと思っている」 と批判しているが、自分で「右傾化」の端緒となる本を出版しながら今さらそれはないだろう、と突っ込みたくなる。 安倍政権が歴史修正主義を強めている現在、是非とも読んで起きたい一冊なのだが、今ではネット上での古書店が頼りというのが寂しい。

2015年12月の読書リスト

当ブログを訪問してくれる皆様、明けましておめでとうございます。 このような無名ブログをいつも訪問していただき、いつもありがとうございます。 旧年中はお世話になりました。 本年もよろしくお願い申し上げます。

・・・という時候の挨拶もはばかれるような暗い雰囲気ではじまろうとしている2016年である。 日ごとに家計を逼迫するエンゲル係数もさることながら、国内では有事法成立、国外では「イスラム国」の脅威、世界各地で収まる気配が見えない民族紛争など、争いの火種は世界中に広まりつつあるようで不安だ。市井の庶民にとって最大の不幸は、現在ほど発想の転換が必要だというのに、国内外の政治家が依然として「国家」という概念に凝り固まっていること。現代政治の世界こそ「グローバル化」という大きな視点が必要なのに、その概念は経済の世界だけに止まり、しかもそれが世界中で格差拡大と貧困層の増加をもたらすという現実に、多くの指導層が目をそらしている有様を、我々はどう受け止めればいいのか。 国内における反戦運動の動きも鈍い。大学の先生たちががんばっているのは認める。だが将来を担うであろう学生たちの動きが、SEALDsなどごく一部にとどまっていることに、多くの大学教員たちは一様に 「イベントを開催しても、参加者のほとんどは一般人ばかりで、肝心の学生はほとんど参加しない」 と嘆く。 学生の側から見れば、就職のことで頭がいっぱいで、そのことにまで気が回らないというのもあるだろう。だが私からいわせれば、これは大学教員の常日頃の言行が、学生の態度に重大な影響を及ぼしているのではないだろうか?と穿った見方をしてしまう。「日本の将来が危ない」といいつつ、教室内では学生に尊大な態度で振る舞う教員たち。そんな彼らに対し、教え子たちは 「いい気味だ」 「俺たちをバカにした報いだ」 と、冷ややかに見つめているに相違ない。世間で言うところの「一流大学」の学生ほどその傾向は顕著で、彼らの多くは 「俺たちはがんばって一流大学に入ったから、戦場に行く可能性を回避できた。いざ『開戦』になったら、戦場におもむくのは頭の悪い二流・三流大学の学生か、大学に行けない引きこもりだろう」 とでも思っているのだろう。もしそう思っているとしたら、本当にゾッとする世界観である。 という愚痴を言ったところで、精神的に楽になるわけではない。声高に「反戦」といわず「とりようでは世間にもそもそと異を唱える」やり方の方が、今の時代ではもっとも賢いのかも知れない。

というわけで、先月読んだ本の紹介である。

 

ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育 読了日:12月10日 著者:菅野恵理子
ウィッチクラフトワークス(9) (アフタヌーンKC)ウィッチクラフトワークス(9) (アフタヌーンKC) 読了日:12月16日 著者:水薙竜
進撃の巨人(18) (講談社コミックス)進撃の巨人(18) (講談社コミックス) 読了日:12月22日 著者:諫山創
赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1) 読了日:12月22日 著者:スタンダール
平和学の現在平和学の現在 読了日:12月28日 著者:

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「2015年11月の読書リスト」

あああ、今年も終わってしまう。 生活が楽になる見通しもない。もちろん、私みたいな生活力に乏しい「中年男子フリーター」みたいな人間に恋を囁く、奇特なオンナもありゃしない。 遊びたくても、オシャレをしたくても、はたまた諸々の活動をしたくても、先立つものがなければできないものである。 いやいや、仮に先立つものがあったとしても「頭が悪い」「いい年こいた人間である」というだけで、NGOだのいろんな活動から爪弾きされる人間は存在する。 SEALDsはじめいろんな「ワカモノ団体」が活動をしているが、彼らが「仲間」と認めているのは、自分と同世代の人間か、あるいは自分と同等、それ以上の能力を持っている人間だけである。これらの活動に興味を持っている人にご忠告。あまり能力がないのにこれらの活動に関わっても、ちっとも面白くない。意見を言っても他の会員からバカにされるのがオチだし、最悪会費だけ取られて、意見はまるで通らない、ということも大いにあり得る。 そんな私は、今年のクリスマスも「シングルベルで苦しみます」確定である。

さて、今月読んだ本の紹介。 コミックを1冊も読まなかったのはこれまであったかな?記憶にないのだが……

 

小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫) 読了日:11月11日 著者:小澤征爾,村上春樹
モア・リポートNOW〈1〉性を語る 33人の女性の現実 (集英社文庫)モア・リポートNOW〈1〉性を語る 33人の女性の現実 (集英社文庫) 読了日:11月12日 著者:
経済学がわかる。 (アエラムック (1))経済学がわかる。 (アエラムック (1)) 読了日:11月19日 著者:
声優魂 (星海社新書)声優魂 (星海社新書) 読了日:11月20日 著者:大塚明夫
時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈前編〉 (ハルキ文庫)時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈前編〉 (ハルキ文庫) 読了日:11月26日 著者:眉村卓
モア・リポートNOW〈2〉女と男 愛とセックスの関係 (集英社文庫)モア・リポートNOW〈2〉女と男 愛とセックスの関係 (集英社文庫) 読了日:11月28日 著者:

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾村上春樹という、クラシック音楽と文壇の巨人による対談集。「マーラー」「オペラ」「バーンスタイン」「グレン・グールド」というテーマについて、二人は縦横無尽に語り尽くす。あるときはレコードを聴きながら、あるときは村上の仕事場で。この二人にとって、バーンスタインの存在は大きいようだ。小澤征爾の若手音楽家に接する姿勢やリハーサルの仕方は、ほとんどバーンスタインのやり方をまねていると言っていいだろう。文庫化にあたり、日本を代表するジャズ・ピアニスト大西順子が、小澤指揮のサイトウ・キネン・オーケストラと2013年9月に共演したときの顛末が追加収録されている。 大西はこの公演の直前に引退を表明し。音楽とは関係ない仕事に就くことが決まっていた。ところがこの演奏を引き受けたことで、彼女はその仕事を断られてしまう。村上は淡々と事実をふり返るが、おそらく内心では、彼女ほどの実績を持つ人間が正当に評価されていないという憤りを感じているに違いない。

モア・リポートnow(1)性を語る33人の女性の現実

1980年・1981年に実施された「モア・リポート」の第二弾。1987年に実施されたアンケートには、13~61歳の1987人から回答が寄せられた。質問項目は47件と、前回よりは多いかな。影響を受けたものについて「モア・リポート」をあげる人をちらほらを見かけたのは、それだけ「モア・リポート」での質問項目が、社会に与えた影響が大きかったということなのだろうか。前回同様周囲の無理解、夫のSEXに不満を持つ女性が多数。第1回アンケートでも思ったが、女性も普通にオナニーをするのだな。それで普通に快楽を得ている人が多数いることを、世の男性はどれほど知っているのだろうか。この本を読んだあとに街中を闊歩している「キャリア女性」の姿を見ると、人知れずオナニーをしているのか?と邪な創造をしてしまう。こんな私は変態だろうか?「自分はお金のために結婚した」という女性が登場したのも、時代を感じさせる。

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「小さな大学の大きな挑戦―沖縄大学50年の軌跡」

この大学の歩みは、沖縄県の歩みそのものだ。 彼らの苦労が報われる日は来るのだろうか。

「地域に根ざし、地域にに学び、地域と共に生きる、開かれた大学」をモットーにする沖縄大学は、沖縄における進学意欲の高まり、沖縄人自身が求める教育の夢を背景に開学した大学である。だがこの大学の歩んできたその道のりは、決して平坦でなかった。 沖縄の日本本土復帰が決定したとき、文部省(当時)は、沖縄大学国際大学という、建学の精神が全く異なる2つの私大を統合しようと目論んだ。この政策は、当時の沖縄県内における大学進学率を根拠に、複数の大学の存続が困難であるという予測が背景にあった。しかし沖縄大学関係者は、文部省が打ちだしたこの政策に強く反発する。当然である。例えが乱暴で恐縮だが、早稲田大学慶応義塾大学を一つのの大学に統合しようとしたら、OBや学生はどう思うだろうか?これと同じことを、文部省は行おうとしたのである。大学関係者の尽力により、両大学の統合は避けられた。しかしメンツをぶつされた格好になった文部省の官僚は、反省するどころか沖縄大学関係者の決定を逆恨みした。彼らの意思を「お上に逆らう者は許せない」とみなした官僚たちは「沖縄大学を私立大学とは認めない」といいだしたのである。しかしこの「傲慢不遜」然とした文部省の姿勢は、先の「統合問題」以上に関係者の怒りを買った。教職員は東京で沖縄大学の設立認可を求める内容を記したビラを配布し、文部省前で抗議の座り込みを行うなど、文部省の政策に徹底抗戦したのである。学生も街中をデモ行進して「大学存続」を強くアピー ルするなど、教職員の東京での抵抗運動を支えた。時間の経過とともに、教職員・学生一体の抗議活動は全国紙で報道され、総評(日本労働組合総評議会、旧社会党を支持していた労働組合)などからもカンパを寄せられるようになる。そして、彼らの声は届いた。文部省がこれまでの方針を変更し、大学設置認可を認めることになったのである。この闘争は後に「沖大存続闘争」と呼ばれるようになった。闘争期間中は大学自治会が学生から学費を徴収し、教職員に頭割りで給料を支給していたそうだ。この大学の学長選挙の有権者が、教員だけでなく職員に与えられているのは、このときの名残りだそうだ。独立反対派は沖縄大学に残り、賛成派は国際大学に移籍する。この大学は「沖縄国際大学」と校名を改めて再出発した。 晴れて正式に大学設置認可がおりたものの、その代償はあまりに大きすぎた。騒動の影響で沖縄国際大学との評価が逆転し、入学者数は減り、退学者は増えていった。当時の大学経営陣は原因を教育内容ではなく、貧弱な施設面に求めた。財務状況が改善されないにもかかわらず 、当時の学長らはキャンパス移転を画策し、ついには怪しげな人物を経営陣に加えようと画策した。しかしこの計画は土壇場で回避され、学校は再生への道を歩み始めようとした矢先、新たな問題が勃発する。この大学は建学当初から学園の教育・運営方針を巡り、同じ学校法人として沖縄大学と沖縄高校を経営していた理事長である嘉数(「かかず」と読む)一族を中心とする理事会と教職員が激しく対立していたが、それが抜き差しならない状態にまで悪化したのである。最終的にこの対立は、高校と大学を別法人として運営するという形で決着を見た。余談になるが、嘉数一族は沖縄高校の経営に失敗し、地元の大学予備校である尚学院に経営権を譲渡することになる。その高校が、今の沖縄尚学高校である。 新経営陣は「地域に根ざし、地域にに学び、地域と共に生きる、開かれた大学」を学園再生のコンセプトに掲げ、入試制度やカリキュラム改訂を積極的に行う。入試は学科試験を取りやめ、面接試験だけにした。これは入学希望者の学習意欲・動機付けの場として認識したからである。その代わりに入学式翌日にテストを行い、英語などの学科はテストの成績でクラスを編成した。関係者はこれを「AO入試のはしりである」としている。また全国各地で入試を実施し、沖縄で入試をおこなう有名大学と対抗するとともに、マイノリティー(ここではアイヌ民族を指す)や僻地・離島在住者のための入試枠を設けた。カリキュラム 面では他大学との単位互換制度を、全国で初めて導入した。入学式をたんなる「セレモニー」とせず、教育の場へと変換した。土曜日に公開講座を開き、市民にも大学教育の場を提供するようになった。沖縄に関係する科目を設け、地域社会への還元を図った。大学院現代沖縄研究科は、地域社会還元の試みの結晶である。21世紀に入ってからも積極的に自己点検を行った結果、沖縄大学は県内就職率トップに輝き、経営状況も「A1」評価をもらうようになった。 以前に比べて一定の評価をもらえるようになった沖縄大学だが、問題点も抱えている。中退者は多く、定員割れになる学科も出てきた。それを防ぐために大学側も、入学予定者を集めてオリエンテーションを開き、自らの学ぶテーマを発見させるとともに、学生による授業評価を実施するなど、努力を重ねている。 「地域に根ざし、地域にに学び、地域と共に生きる、開かれた大学」 このコンセプトは、言うは易く行うは難しである。 だがこの大学は、厳しい条件の中にあっても、理想の教育を実現しようと努力してきた。 「大学全入時代」を迎え、地方にある私立大学の多くは存亡の危機を迎えているが、この大学のコンセプトは、定員割れに悩む私立大学にとって、一つのモデルケースになるのではないだろうか。