Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「丸腰国家―軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略―」

9・11」以降、日本国内ではコスタリカに関心を持つ人間が急増している。理由は、日本においてこの国が「軍隊を持たない国」として紹介されているからだろう(ただし、日本には「自衛隊」という名の「軍隊」があるが)。左派は「コスタリカには軍隊がない、だから日本も軍隊をなくすべきだ」と主張し、右派は「コスタリカは、憲法で軍隊を保持することも、徴兵制も認めている」と述べる。そのどちらにも政治的なバイアスがかかっているため、ありのままのコスタリカが理解されていない事が、著者には不満だったようだ。 もっとも著者自身、中学校の授業ではじめてコスタリカのことをきいたときは「軍隊なしでやっていけるのか」と思っていたという。著者が中学生だった’80年代後半は、中南米諸国のほとんどは軍隊が政権を握っており、それをアメリカが支えるという構図でなりたっていた。どんなに国内で圧政を敷いても、アメリカの支持がある限り政権は安泰だが、ひとたびアメリカという後ろ盾をなくしたら、その政権はあっという間に瓦解する。北隣には極左勢力・サンディニスタ政権のニカラグア、南隣には、アメリカの忠実なる僕だったパナマがある中、コスタリカは巧みな外交攻勢によって中立を保ち、現在の国際的地位を獲得した。 断っておくが、この国はある日突然「軍隊をなくす」と宣言したわけではない。’40年代後半には、深刻な内戦を経験しているし、その残党が、当時ニカラグアを牛耳っていたソモサ政権と結び、コスタリカを再び内戦状態にしようと画策したこともある。-軍隊があるから、内政が安定しない。相手に内戦の口実も与えかねない。軍隊を持っていても危険リスクが高まるだけなら、いっそのこと軍隊そのものをなくしてしまえ-当時のコスタリカ国民が「軍隊をなくす」という結論になったのは、内戦という苦い経験に学んだからである。 ところが、コスタリカ憲法は「再軍備」も「徴兵制」も認めている。日本の右派勢力が「コスタリカには軍備放棄をしていない」と主張するのは、憲法にこのことが書かれているからだが、当のコスタリカ人は、軍隊経験者・警察関係者を含め「100年後先はわからないが、今の段階では再軍備はあり得ないし、そうならないように努力し続ける」と断言している。当時の大統領がイラク戦争を支持すると聞いて、世界中がひっくり返ったが、そのときですら、大統領を支持するコスタリカ国民はほとんどおらず、支持を表明した人物も「再軍備なんかとんでもない、それだけはあり得ない」と発言するほど、国内では軍隊の存在を認めない姿勢が徹底している。 だが残念なことに、地球上には「この世の楽園」は存在しない。左派勢力が「地上の楽園」と喧伝しているコスタリカもご多分に漏れず、近年は麻薬蔓延と政治腐敗に苦しんでいる。この国は人権教育が徹底しており、警察も「人権」の配慮にはかなり気を遣っているが、治安強化と人権とのバランスをいかに保つか、かなり頭を悩ましているようだ。グローバル経済の影響で貧富の差が拡大し、バナナ・プランテーションは環境破壊問題を引き起こしている。女性の高い就業率が、DV(ドメスティック・バイオレンス)用シェルターの数の少なさにつながっているのは皮肉だし、NGOの支援が貧困層に十分行き届いているとは言い難い。このほかにも先住民問題、高齢者問題、障害者問題、果ては賄賂文化の横行など、この国には問題が山積している。 それでもこの国は、どんな状況になろうとも軍隊を持とうとはしない。大臣は 「戦闘機1機が買える値段で、パソコン20万台が買える。ヘリコプター1機の値段で、中学を退学しようとしている子供達5,000人に、年間100ドルの奨学金を授与できる」 と力説する。そもそも、この国が軍隊を捨てた理由のひとつが「教育に力を入れたい」というものなのだ。この国では大学までの学費が無料だが、それでも学校に行けない子供達が大勢いる。しかし国民は少しでも望みがある限り、理想に向かって努力する姿勢を崩さない。 平和というのは「お願いすればやってくる」のではなく、闘って勝ち取らなければならない。 コスタリカ人の生き様を見ると、ふとそんなことを思った。 「平和とは、終わりなき戦いなのです」 2000年秋、日本にやってきたオルセン・フィゲーレスはこう語った。そして彼女は、インタビューされる度にこの言葉を繰り返す。-平和とは突然やってくるのではない、それに向かって努力するのが重要なのだ-確かに、今のコスタリカは「発展途上国」かもしれない。だが軍隊をなくし、軍事力に頼ることなく紛争を回避し、これからも軍隊を持たないように努力する。その努力だけでも、コスタリカとその国民は、永遠に国際社会に輝き続けるだろう。 著者が言うように、日本はコスタリカをそっくりまねする必要はない。だが、コスタリカから学ぶところが多いのは事実である。この国がコスタリカの長所を学び、魑魅魍魎が跋扈する国際社会でうまく立ち回るすべを身につけたら、日本は生まれ変われるのだろうか。