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Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

周恩来秘録(上・下)

文庫版あり(文藝春秋社)

1960年代後半の中国で巻き起こった「文化大革命」に関する本は、民衆の視点では「ワイルドスワン」(講談社文庫・3冊)や「上海の長い夜」(朝日文庫・2冊)などで余すところなく触れられているが、権力者側の視点から取り上げられた本はあまり紹介されなかったと記憶している。この本は、文化大革命時に中国の首相だった周恩来の晩年10年間の軌跡を、これまで公開されてこなかった秘密資料をふんだんに使い、彼の実像に迫った本である。

大躍進」という名の経済政策が未曾有の大失敗に終わった中国は、毛沢東劉少奇に権限を委譲した。劉少奇は大胆な改革に取り組み、中国経済の再建に成功するが、その実力を妬んだ毛沢東が、劉少奇一味に権力闘争を仕掛け「走資派」のレッテルを貼って彼らを失脚させたのが「文化大革命」の実態だったことは、少しでも中国現代史に関心がある方なら理解していただけると思う(失脚後の劉少奇は自宅に軟禁され、持病の治療は愚か入浴も散髪も許されず、自らの誕生日に「共産党除名」演説をラジオで聞かされるなど心身とも苛烈な扱いを受けたあげく、首相「解任」から2年後、失意のうちに病没した)。 これまで周恩来は「毛沢東の権勢から良識派を守った者」というイメージで見られていたが、この本を読む限り、彼もまた我が身かわいさから、多くの良識派幹部を見殺しにしたということが理解できるだろう。

なぜ周は毛を恐れたのか? 毛の猜疑心と権力欲が人並み以上に強かったという、独裁者にありがちの資質を持っていたこともあるが、その原因は、戦前の中国共産党共産主義インターナショナルコミンテルン)との関係にある。コミンテルンは周を高く評価していたが、毛はそのことで周を深く恨んでいた。また周自身、もともと人と争ってまで自分の意見を押し付けることを嫌っていたため、勝負どころでは毛に遠慮していたふしがある。周は毛の面子を立てたつもりだったのだが、その真意が毛に伝わるところがなかったのは不幸としか言いようがない。 実質的に「四人組」を仕切っていた毛夫人・江青が毛以上に権力欲が強かったことも、悲劇に拍車をかけたといえる。だがそれほど権力欲が強かった毛ですら、実務能力では周にはるかに及ばず、政策面では周の手腕に頼わざるを得なかった。事実、1950年代の大飢饉は、毛沢東の失政が引き起こしたものであり、周はその後始末に奔走した。 猜疑心と権力欲の強い性格だった毛は、後継者を育てては自らの手で潰すことを繰り返してきた。妻である江青のことも、そのヒステリーと無知さぶりゆえ嫌っていたほどだ。そんな毛が後継者に指名したのが林彪だったが、その林彪ですら毛のことを内心では毛嫌いし、馬鹿にしていた。周はそんな林彪と気脈を通じていたのだが、それが後年の大事件へとつながっていく。

劉少奇を失脚させた毛沢東は、党内No2の林彪に手をかける決断をする。表面上は友好関係を保っていた両者だったが、裏ではお互いドロドロの暗闘を繰り広げていた。真綿で首を絞めるように追い詰められた林彪は、ついに毛沢東暗殺&クーデター計画を実行しようとするが失敗、亡命のために乗った飛行機が墜落して家族とともに死亡する。彼のクーデター計画を阻止したのは、林彪のすぐそばにいた人物だった。

周恩来最大の功績として、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問したことが挙げられるが、実は林彪ソ連と汲んでクーデターを起こすのではないかと恐れた毛沢東が仕組んだものであったということが、本書の中で明らかにされる。だが海外マスコミは周恩来をたたえ、毛は一顧だにされなかったことから、彼は周に対してあの手この手の嫌がらせを加える。 周のガン治療ですら妨害する毛の性格に、身の毛を覚える人も多いだろう。ガンの痛みと毛の圧力に苦しみながらも、時にへつらい恭順の姿勢を見せつつ、周は毛と最後の暗闘を繰り広げていく。死の床で最後の力を振り絞り「私は党に忠実だ!人民に忠実だ!」と叫んだ周恩来。その胸中にどんな思いがよぎったのか、今となってはそれを確かめるすべはない。

地方の貧農の家に生まれ、父親から虐待を受けて育ち、我が強く法家思想の信奉者だった毛沢東と、都会の裕福な家庭に生まれ育ち、若かりしころは日本とフランスに留学し、儒家思想の信奉者だった周恩来。思想も環境も決して交わることがなかった両者だが、今の中国は両者なくして成り立たなかったことは事実である。 しかし今の中国は、二人の理想の国家といえるだろうか?「四人組」裁判で、その中心だった張春橋が「共産党が堕落党員の問題を真剣に解決せず、特権階級となり、多くの人民から乖離し云々」と指摘したように、この国家はあまりに大きな図体をもてあましているように思える。この巨大な国家は、これからどこに向かうのか?現代中国を考える上で、この本が取り上げている思考は貴重なものといえるだろう