格差拡大政策を実施した人間が、何事もなかったかのように「格差問題の弊害」を説く。 まるでマンガである。
ライバル誌「東洋経済」に遅れること2週間、「週刊ダイヤモンド」も2015年2月14日号でピケティ特集を組んだ。東洋経済が、冊子の半分のページ数を割いたのに対し、こちらは30ページ強。最大の目玉は、今をときめくメディア人・池上彰をピケティのインタビュアーに起用したこと。彼は「表立った体制批判(特に警察・官僚機構に対して、彼はほとんど批判めいたことは言わない)はしないが、物事を解りやすく伝える技術は日本一のメディア人(あえて「ジャーナリスト」とは書かない)」と個人的に思っているが、今回も期待に違わぬ働きをしてくれた。 池上はピケティの今回の業績は3つあると指摘する。
3つめの項目については、普通の経済学者だったら精緻な理論を組み立てようとするが、ピケティは「r>gを論理的には説明できるが、その理由はわからない。私が分析したデータをたたき台にして、みんなで考えてください」というスタンスをとっていることを、池上は「謙虚だ」と賞賛している。 池上とのインタビューで、ピケティは
と、アメリカを中心に流行している新自由主義経済を批判している。またピケティと似たような研究は1970~80年代に行われていたが、すべて手作業だったために作業者は疲労困憊し、完成した本は読み手に苦痛を強いるだけで、喜びを与えることが出来なかったことを明らかにした。インターネットが普及したことで、世界中の研究者がデーターを提供しやすくなり、調査の透明性を高く保てるようになった。データー収集が劇的に楽になったことで、研究者は歴史的な解釈の作業に注力できるようになったのである。 また彼は、rとgの格差がこれ以上広がりすぎると、富の集中がすすんで格差は拡大する、それは民主的な社会にとって矛盾が生じると訴える。東大での講演において、ピケティは学生に
と述べた。この本の目的は、知識の民主化にある。民主主義を社会に広めるためには、専門家だけが経済学を独占してはいけない。世界各地で広がる格差拡大と若年層失業率の上昇は、民主主義の不安定の原因になり、放っておくと取り返しのつかない事態になる。インタビューを見る限り、彼は現状にかなりの危機感を持っているようだと言うことが認めれる。 同号では「21世紀の資本」を読んだ11人のインタビュー記事が掲載されている。意見を寄せた全員が何らかの部分で共有でこるところはあるようだが、彼らの中には違和感を感じる意見を開陳している人間もいる。 その代表例が竹中平蔵である。彼が小泉政権でやったことは、心ある人なら重々承知のはずだからここでは書かないが、自分で格差拡大につながる政策を推進しながら、このインタビューで
とイケシャーシャーと語っている。しかも彼は、このインタビューで
と平然と語るその神経は、常人にはとても理解不能である。彼はこのインタビューの中で「正規も非正規も同一条件にすればいい」と述べているが、現在彼が派遣業界最大手企業「パソナ」の会長を務めているという文脈でこの記事を読む限り、彼が持っているどす暗い野望を感じてしまう。「派遣会社会長」という立場でこんなことを発言するのは、一体どんな狙いがあるのだろうか?竹中は最近、別の会合で労働者を解雇し易くしろと発言したそうだが、解雇条件が緩和すれば、派遣業界が儲かるのは目に見えている。自分の儲けしか考えていない、とんでもない学者である。 大阪大学副学長の大竹文雄氏のコメントにも、違和感を覚えざるを得ない。彼は
と、何かすっとぼけたことを言っている。あの、あんた経済学者ですよね?10年前に比べて、上位1%はさほど増えていないのは確かだが、これが「上位10%」になると、10年前とは比較にならないほど増えているのですよ。そのことを無視して「日本の格差は、外国よりはマシ」と言われても、説得力がありませんってば。
とコメントする池田信夫氏(アゴラ研究所代表取締役)も、彼の展開する論証は荒っぽい展開が目立つと言うが、その根拠を指摘した部分は皆無(ひょっとしたら、会員サイトでは読めるのかも知れないが)。それだったら、ピケティの解説本なんか書かなければいいのに、と思ってしまう。派遣会社ザ・アール会長奥谷禮子氏のコメントは、ここで取り上げるに値しないほどたちが悪く、かつ方向性が全く見当違いである。水野和夫・日本大学教授は、この本はフランス革命後、身分や性別をなくしたから、誰しもが能力に応じて資産や所得が決まる社会が来たと思っていたが、それは欺瞞であった言うことを証明したことを評価し、橘木俊詔・京都女子大学客員教授、森永卓郎・獨協大学教授らは、格差拡大や貧困問題に焦点を当てたことを評価した。飯田泰之・明治大学准教授は、今後日本は「資産を持つ中流階層の6割と、それを持たない4割の格差は今後広がる」ことを危惧し、萱野稔人・津田塾大学教授は、この先も低成長時代は続くと予測し、機会平等のための政策が必要になってくると訴える。「日刊ゲンダイ」の連載で、ピケティの考え方に懐疑的な視線を向けていた作家・佐藤優だが、21世紀の資本については、主張の展開は誠実だと評価している。ただ彼は、ピケティの唱える資産課税政策については、国家と富裕層は持ちつ持たれつの関係であり、政府はそこに手を突っ込めないだろう。もし突っ込めるように国家権力を強化したら、権力が暴走し、かつての国家資本主義・国家社会主義に近い、窮屈な世の中になると警告する。この思想は池田信夫と正反対で面白い。 Newsweekも2015年2月24日号でピケティを特集しているが、こちらの扱いは実に冷ややかだ。何より、ピケティがアメリカの経済学界に失望した理由について、一言も触れないどころか、ピケティの理論に反論するMITの学生を紹介する始末である。仲正昌樹・金沢大学教授はサンデルやネグリ、自分の専門研究分野であるハンナ・アーレントみたいに、一過性のブームに終わるだろうと言っているが、一般人の「学説ブーム」が一時期だけなのは、毎度毎度のことであることは、ご本人だって解っているはずである。文系のみならず、理系の「超伝導ブーム」をはじめ、日本人がノーベル賞を受賞する度に、それまで受賞者の実績に知らんふりしているメディア(特に「大マスコミ」と言われる人々)が大騒ぎするのを、苦々しい思いで見ている人たちが世間には沢山いるんですよ。 アーレントは著書の中で「自分の意思を持たず、命令に唯々諾々と従っている人が一番がちが悪い」と告発し、ネグリは世界のグローバリぜーション化とともに出現した新たな脅威について訴え、サンデルは、我々に異なる人たちとの対話の重要性を教えてくれた。そしてピケティは、我々に民主主義の重要さと、フランス革命の理想が、未だに達成できていないことを示して見せた。学説の一過性ブーム、大いに結構。我々が彼らの言いたいことを正確に捉えれば、未来は明るいと思う。