Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「非戦」

あの忌まわしい出来事から10年以上たつというのに、現在は「過去から学ぶ」ことをやめたかのように、同じような出来事を繰り返そうとしている。

2001年暮れ、チョムスキーのインタビュー集「9・11-アメリカに報復する資格はない」とほぼ同じ時期に出版され、一躍大ベストセラーになったのがこの本である。 坂本龍一が 「あの日の空の青さとともに、人類はとうとう『パンドラの箱』を開けてしまったのか、という腰のなえるような恐ろしさを、ぼくは一生忘れることができないだろう」 と「あとがき」のなかで触れているとおり、「2001年9月11日」は世界中の人にとって、一生涯忘れることのできない事件である。世界貿易センタービルに旅客機が突っ込むなど、いったい誰が予想し得ただろうか?しかもテロ組織の飛行機はペンタゴン(アメリカ国防総省)にも突っ込み、全壊は免れたとはいえ、一歩間違えれば全世界中は地獄のどん底に突き落とされただろう。ブッシュが声明を出したのは事件発生から6時間後で、しかもその間の所在がいまだに不明であることから、一部では 「ブッシュは、これらの事態をあらかじめ知っていたのではないか」 とまで囁かれ、それを裏付ける証拠めいたものがネット上に流れた。だがその後は、この事実を深く突っ込むマスコミも人間もいなくなったのはなぜか?真相はいまだに藪の中である。 近年、平和運動が停滞していたというのは事実だ。日米ガイドライン(周辺事態法という名前でごまかされているが、アメリカでは明確に「戦争マニュアル」と呼んでいる)が制定された時ですら、反対運動は盛り上がりを欠いていた。世間一般には「平和平和と叫んでいれば、世界は平和になるのか」というさめた意見や、「現実問題として、 軍事力がなければ平和は保てない」という意見が満ちあふれ、平和運動団体側もこれらに対する有効な対案を提示できず、結果として国内の平和運動は閉塞状態に陥っていた。そう、少なくても日本国内においては。 そんな空気も「9・11」で一変する。事件が起きた当初、原因や犯行集団に関してさまざまな揣摩憶測が流れた。テロの首謀者についてはビンラディン一派率いるテロ集団「アルカイダ」の犯行だといわれてきたが、本当に彼らがやったことなのか、事件が起きてから1年近く経過したが決定的な証拠が出てこない(2001年当時)。事故から少し立って、イギリス政府がビンラディン一派の犯行だと発表したが、イギリスのマスコミはこれについても異議を唱え、辛辣に酷評していることは、この本に収録されている「2001年9月11日 米国におけるテロ残虐行為の責任者」の解説(星川淳氏)を見ても、それは明らかである。にもかかわら ずブッシュ大統領は「これは戦争だ」と叫び、「我々の側につくか、それともテロリストの側につくか」と言うセリフで二者択一を迫った。国内外のマスコミも戦争ムード一色になり、いつどんな形でアメリカがビンラディン一派に宣戦布告するのか、興味はその一点に絞られるような報道スタンスをとる新聞社も出てくる始末だった。 しかし日本国内はむろんのこと、全世界中において「戦争だけで本当に平和が訪れるのか?すべての問題が解決するのか?」という思いがネット上の世界に 急速に広まっていく。それが現実世界に置いても行動が具体化し、テロの背景やいまだに解消されない南北問題について深く知ろうという動きも徐々に増していく。日本国内で広がった「平和」への思いはやがて平和を求める市民ネットワーク「CHANCE!」に結実する。今までの平和運動はとかくイデオロギー論争になりがちだったが、この事件をきっかけにして右派・左派がお互いの垣根を乗り越え、国内の平和運動が一つになった。その動きは10月のアフガン「報復空爆戦争」が始まるにつれて、ますます盛んになっていく。国内外でも、従来の平和運動のイメージにとらわれない、新しい感覚を持った団体が続々と生まれる。 インターネット上でお互いに情報を交換し、時には意見を戦わせ、そして行動に移していく。「ピースウォーク」(といっても、その内実は「デモ」なんだけどね)という、新しい行動様式の誕生はこうしてうま れた。 これは従来のデモとは一線を画したもので、この行動は誰でも気軽に参加できるようにと、イデオロギー色をなくしていることに特徴がある。1回もデモ行進に参加したことがないという人が多数参加している事からも、それは明らかだ。これまで平和運動やデモ行進に興味も関心もなく、むしろそれらの活動 に対して反発を感じていた人間をも巻き込むことに成功した。 それと並行して、一冊の本を作ろうというプロジェクトが立ち上がる。坂本龍一もあとがきで触れているように、ほとんど顔を合わせたことのない人間が1日 平均250通のメールを交換しながら編集作業を行った。Webからの情報を頼りに筆者をたどり、転載許可を求め、翻訳をし、新たに原稿を書き下ろしても らう。編集作業が決して順調に進まなかったということは、坂本の 「思わぬ反発に出会ったりする……(中略)……たくさんの筆者の論考を一つの本にまとめる 難しさを知る」 という一文からも、さまざまな葛藤をかいま見ることができる。 立ち上げから出版まで3ヶ月足らずだったにもかかわらず、国内外約50名の著名人がこの本にメッセージ・論考を寄せてくれた。400pを越える大著故、 ここではそれぞれの論者についての感想はあえて書かない。人によっては、これは収録するに値するのかと思われるのもあるかもしれない。だが一ついえること は、この本には世界中の人たちの平和に対する熱い思いが込められている、ということである。作家、音楽家、NGO職員、学者などさまざまな立場を乗り越え、平和について語っている本というのは、なかなかお目にかかれないだろう。収録されたメッセージの中には、ネット上で広がったものも多数ある。一つ残念なのは、この本にメッセージ・論考を寄せた人間の中に、日本の政治家が誰もいなかったということ。個人的には、辻元清美にメッセージを寄せてほしかったな と思っているのだが。 編集チームの名前になった「sustainabillity for peace」とは、「平和のための持続可能性」という意味である。そのためには我々には何ができるのか、読者には真剣に考えてほしいと同時に、筆者達の 「人を殺すな」 「生き物を自分の利益のために殺すな」 「子供たちの生きる権利を奪うな」 という思いを感じ取ってほしい。と同時に「戦争が答えではない」ということも知ってほしい。 この本を読んで、「非戦」という希望が、人々の間に広がっていくことを切に願う。 なお、この本の印税は全額アフガニスタンに寄付され、同国の復興資金の一助となることが決定している。

という文章を、私は当時運営していたHPに掲載した。「CHANCE!」の運動が盛んだった頃は 「これで『左右対立』といった、不毛なイデオロギー論争が終結する」 と本気で思っていた。しかし…

不毛でどうでもいいことがきっかけで、この運動は旧来の「活動家」達によって、すべてメチャクチャにされてしまった。 「活動家達」の不愉快な体質は、昔も今も変わらない。 気づいたところで、彼らが耳を傾ける可能性はほぼゼロだから何も変わらない。 私は長年NGO活動に関わり、かつ支援してきたが、それでわかったことは 「所詮NGO活動は、頭のいい人、裕福な者同士のための出会いの手段に過ぎない」 という、厳然たる事実だった。 NGO団体で活動している若い人を見ると、彼らは自分たちと同じ世代同士でつながりたがり、積極的に異世代と交流しようとしない。仮に交流したとしても、それは自分たちの得になる人としか付き合わない。こちらがどんなに彼らのほしがる情報を紹介したとしても、彼らは自分たちより頭が悪いか貧乏だと、とたんに小馬鹿にした態度をとるのが常だ。 「お金は欲しい。でも意見は聞くつもりはない。仲良くしましょう?冗談でしょ?」 そんな対応を何度となくとられていたら、こちらだっていい加減イヤになってくる。 「都心在住の知的エリートの、都心在住の知的エリートによる、都心在住の知的エリートにアピールするための活動」 それが、今の日本のNGOの実態である。 「外国の貧困撲滅」を訴えながら「国内の貧困撲滅・格差解消」に関心を持たない人たち。 「戦争反対」を訴えながら「脱原発」「格差解消」を求める意見に耳を傾けない人たち。 「人権擁護」を訴えながら「犯罪犠牲者」の人権擁護には消極的な人たち。 そんな事実に気がつかず、今までずっとこの世界に身を置いてきた自分が情けなくなってくる。 この国にいつまでも、NGOの精神が根付かないわけだ…