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Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「小さな大学の大きな挑戦―沖縄大学50年の軌跡」

この大学の歩みは、沖縄県の歩みそのものだ。 彼らの苦労が報われる日は来るのだろうか。

「地域に根ざし、地域にに学び、地域と共に生きる、開かれた大学」をモットーにする沖縄大学は、沖縄における進学意欲の高まり、沖縄人自身が求める教育の夢を背景に開学した大学である。だがこの大学の歩んできたその道のりは、決して平坦でなかった。 沖縄の日本本土復帰が決定したとき、文部省(当時)は、沖縄大学国際大学という、建学の精神が全く異なる2つの私大を統合しようと目論んだ。この政策は、当時の沖縄県内における大学進学率を根拠に、複数の大学の存続が困難であるという予測が背景にあった。しかし沖縄大学関係者は、文部省が打ちだしたこの政策に強く反発する。当然である。例えが乱暴で恐縮だが、早稲田大学慶応義塾大学を一つのの大学に統合しようとしたら、OBや学生はどう思うだろうか?これと同じことを、文部省は行おうとしたのである。大学関係者の尽力により、両大学の統合は避けられた。しかしメンツをぶつされた格好になった文部省の官僚は、反省するどころか沖縄大学関係者の決定を逆恨みした。彼らの意思を「お上に逆らう者は許せない」とみなした官僚たちは「沖縄大学を私立大学とは認めない」といいだしたのである。しかしこの「傲慢不遜」然とした文部省の姿勢は、先の「統合問題」以上に関係者の怒りを買った。教職員は東京で沖縄大学の設立認可を求める内容を記したビラを配布し、文部省前で抗議の座り込みを行うなど、文部省の政策に徹底抗戦したのである。学生も街中をデモ行進して「大学存続」を強くアピー ルするなど、教職員の東京での抵抗運動を支えた。時間の経過とともに、教職員・学生一体の抗議活動は全国紙で報道され、総評(日本労働組合総評議会、旧社会党を支持していた労働組合)などからもカンパを寄せられるようになる。そして、彼らの声は届いた。文部省がこれまでの方針を変更し、大学設置認可を認めることになったのである。この闘争は後に「沖大存続闘争」と呼ばれるようになった。闘争期間中は大学自治会が学生から学費を徴収し、教職員に頭割りで給料を支給していたそうだ。この大学の学長選挙の有権者が、教員だけでなく職員に与えられているのは、このときの名残りだそうだ。独立反対派は沖縄大学に残り、賛成派は国際大学に移籍する。この大学は「沖縄国際大学」と校名を改めて再出発した。 晴れて正式に大学設置認可がおりたものの、その代償はあまりに大きすぎた。騒動の影響で沖縄国際大学との評価が逆転し、入学者数は減り、退学者は増えていった。当時の大学経営陣は原因を教育内容ではなく、貧弱な施設面に求めた。財務状況が改善されないにもかかわらず 、当時の学長らはキャンパス移転を画策し、ついには怪しげな人物を経営陣に加えようと画策した。しかしこの計画は土壇場で回避され、学校は再生への道を歩み始めようとした矢先、新たな問題が勃発する。この大学は建学当初から学園の教育・運営方針を巡り、同じ学校法人として沖縄大学と沖縄高校を経営していた理事長である嘉数(「かかず」と読む)一族を中心とする理事会と教職員が激しく対立していたが、それが抜き差しならない状態にまで悪化したのである。最終的にこの対立は、高校と大学を別法人として運営するという形で決着を見た。余談になるが、嘉数一族は沖縄高校の経営に失敗し、地元の大学予備校である尚学院に経営権を譲渡することになる。その高校が、今の沖縄尚学高校である。 新経営陣は「地域に根ざし、地域にに学び、地域と共に生きる、開かれた大学」を学園再生のコンセプトに掲げ、入試制度やカリキュラム改訂を積極的に行う。入試は学科試験を取りやめ、面接試験だけにした。これは入学希望者の学習意欲・動機付けの場として認識したからである。その代わりに入学式翌日にテストを行い、英語などの学科はテストの成績でクラスを編成した。関係者はこれを「AO入試のはしりである」としている。また全国各地で入試を実施し、沖縄で入試をおこなう有名大学と対抗するとともに、マイノリティー(ここではアイヌ民族を指す)や僻地・離島在住者のための入試枠を設けた。カリキュラム 面では他大学との単位互換制度を、全国で初めて導入した。入学式をたんなる「セレモニー」とせず、教育の場へと変換した。土曜日に公開講座を開き、市民にも大学教育の場を提供するようになった。沖縄に関係する科目を設け、地域社会への還元を図った。大学院現代沖縄研究科は、地域社会還元の試みの結晶である。21世紀に入ってからも積極的に自己点検を行った結果、沖縄大学は県内就職率トップに輝き、経営状況も「A1」評価をもらうようになった。 以前に比べて一定の評価をもらえるようになった沖縄大学だが、問題点も抱えている。中退者は多く、定員割れになる学科も出てきた。それを防ぐために大学側も、入学予定者を集めてオリエンテーションを開き、自らの学ぶテーマを発見させるとともに、学生による授業評価を実施するなど、努力を重ねている。 「地域に根ざし、地域にに学び、地域と共に生きる、開かれた大学」 このコンセプトは、言うは易く行うは難しである。 だがこの大学は、厳しい条件の中にあっても、理想の教育を実現しようと努力してきた。 「大学全入時代」を迎え、地方にある私立大学の多くは存亡の危機を迎えているが、この大学のコンセプトは、定員割れに悩む私立大学にとって、一つのモデルケースになるのではないだろうか。