本作は、高校の演劇部をメインにした青春小説というべき作品であり、裏表紙に記載されている「ミステリー」という文言は、小道具の一つに過ぎない。ネット上によせられている感想も、本作を「(ライト)ミステリー」ではなく「学園小説」と見なす読者がほとんどである。作中に漂う雰囲気も、1980年代後半~90年代前半にかけて、盛んに刊行された「少女小説」の分野で数多く取り上げられた、主要モチーフ(主題)の一つ「楽しく読めるミステリー小説」である。その手の小説が好きな読者はこの作品を受け入れられるかも知れないが、トリックが複雑で、骨のある海外ミステリーが好きな読者は、このジャンルを
「この小説で取り上げられるトリックには偶発性が強く、展開もご都合主義的だ」
といって嫌うだろう。
本作のヒロインは、父親が事業失敗で多額の負債を抱えたため、高校入学以降アルバイトに明け暮れる生活を送っていた池谷美咲。ところが高校2年生の一学期、彼女をアルバイト生活から解放する出来事が起きる。ようやくやってきた青春を満喫しようと決意する彼女は、幼なじみでクラスメート・ナナコのすすめで演劇部に入部。ところがこの部は、校内から「変人の巣窟」と言われるだけあり、部員はよく言えば個性的、悪くいえば(世間一般からすれば)協調性があるとはいえない生徒ばかり。そこへもってきてナナコが入院し、美咲は舞台経験はおろか、演劇や舞台に関する知識(特に用語)が全くないにもかかわらず「ブタカン(舞台監督)」という大役をやらされることになる。
この物語の最大の問題点は、ヒロインの設定である。
ネタバレで恐縮だが、バイト三昧の日々を送っていた美咲が「高校デビュー」できたのは、伯父(父の兄)が宝くじで一等賞を取ったからである。その金額は、美咲一家が抱えている債務を全部帳消しにできるほどの金額だが、現実世界でこんなことがあり得るのだろうか?普通だったら、自分で独り占めするだろうに。これを気前よくぽんと差し出した理由が、作中では明確に書かれていないので、読者の想像に任せるしかない。家族の猛反対を押し切って店をやったのが原因で、親戚とはうまくいっていなかったのだろうか?
美咲が演劇部入部早々「舞台監督」になったというのも、常識ではありえない。映像の知識がまったくない人間が、映画監督としてデビューすると聞いたら、映画ファンは怒り狂うだろう。それと同じことだ。ブタカンに演劇や舞台の知識がないと、専門用語で話す部員との意思疎通は難しいから、的外れな指示を連発するのは目に見えている。開幕と当時に舞台上は大混乱に陥り、客席からはブーイングの嵐が飛ぶのは必至だろう。作者は、なぜこんな無茶な設定を思い浮かべ、担当編集もそれを容認したのか?まともな編集者だったら、すぐに設定内容を変更するよう要求するはずである。
作中に出てくる演劇部の設定も、ほかの「部活もの」とは少々雰囲気を異にする。スタッフ(大道具・小道具・音響・照明など)は、役者も兼ねる男子生徒以外は全員女子生徒、俳優は全員男子生徒なのだ。美咲の通っている学校は、ホームルームだけ男女合同の形態が多い「男女別学」ではなく、れっきとした「男女共学」。実際の高校演劇部に、このような形態の部活があるのだろうか、私は寡聞にして存じない。現実世界では「ありえない」設定のおかげで、書店でページをめくってみたが、読み進める気がなくなった人も多いに違いない。
かようにツッコミどころ満載の舞台設定ではあるが、登場人物はかなり個性的である。
人生に嫌気をさして自殺を決意したが、死ぬ前に見た舞台がきっかけで演劇の世界にはまった早乙女先輩。彼はスタッフでは唯一人の男子生徒で、脚本と演出も担当する。
女子生徒ながら「なぐり(大道具製作に使うかなづち)」などの大工用具を自由自在に操り、舞台装置などの大道具製作を一手に引き受けるするりかぽん。
やたらと鼻血を出すが、頼りになるまい先輩。いつも首にスカートを巻いている、オシャレなみど先輩。照明担当のトミー。
バトミントン部と兼部でがんばる1年生男子生徒・辻本実。
演劇部きっての美術センスを持つ「ジュリア」。彼女は当初、演劇部に途中入部してきた美咲のことを快く思っていなかったが、それは美咲に演劇の知識が乏しいからではなく、別の理由があるが、それは読んでのお楽しみ。
癖の強い部員たちをまとめる演劇部の顧問は、新人教師として赴任してきた伊勢田愛。彼女が演劇部の顧問に就任した理由は前任者が定年退職したからであり、部員たちの影に隠れて存在感が希薄だった。だが演劇部の夏合宿の話で、彼女は学生時代、地域の盆踊り隊のメンバーに選抜された経験があることが明らかになる。教員で構成されるロックバンドの一員として文化祭のステージに登場し、そこでキーボードを担当するほどだから、もともと芸術的素養は高いようだ。しかし残念ながら、なぜ彼女がピアノが弾けるとわかったのか、明確な理由が描写されていない。
そして、美咲を演劇部に引っ張り込んだ張本人である、幼なじみにして親友のナナコ。「変人の巣窟」と言われる演劇部員の中でも、彼女の思考と行動は美咲ですら理解不能なのだが、美咲が演劇部入部を決意したのと時を同じくして、ナナコは病に倒れてしまう。自分の病気について、本人は美咲に「白血病に似たような病気だ」としか伝えていないが、話が進むにつれて彼女の病は重くなり、文化祭が終わる頃には集中治療室に運ばれるまで悪化してしまう。ナナコはいったいどうなってしまうのか…?
先述したように、この作品は肝心な部分で説明不足が目につくなど、細かいところで「手抜きしたのでは?」と思われるようなとこが目につく。扱っている素材が素晴らしいだけに、パラ見して「なんだこれふざけんな!」と起こって、書店の本棚にしまった人もいるに違いない。
だがこの本を読んでいると「青春って素晴らしいな」と思うのだ。持てる能力を発揮して任務を全うし、「舞台」という一つの作品を作り上げていく。人間は何か一つ夢中になるものがあれば、それだけで幸せになれるのだと実感する。私が学園小説が好きなのは、いじめられっ子で、周囲から孤立していたからだ。自分も真っ当な学園生活をおくっていたら、また違った人生を送っていたかも知れない。作者は、人がうらやむような素晴らしい高校時代を送ることができたに違いない。そう考えると、作者をうらやましく思えるのである。
さて、演劇ど素人の舞台監督がどんな活躍を見せ、人間的に成長していくのか極めて興味深い。