Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「二十歳の原点ノート 十四歳から十七歳の日記」

1969年6月24日未明 京都市内を通る山陰本線を走る貨物列車に 一人の若い女性が飛び込み自殺した。 死後、彼女の下宿の部屋から 10冊を超える大学ノートが発見された。 彼女の父親は、地元の同人誌にその日記を載せたところ、大反響を呼んだ。 その日記は新潮社から発売されると 同時代の若者から熱烈な支持を受け 瞬く間にベストセラーになった。

女性の名前は、高野悦子。 1970年代のベストセラーであり、若者のバイブルといわれた 「二十歳の原点」シリーズの作者である。 没後40周年にあたる2009年 「二十歳の原点」シリーズが「新装版」という形で 改めて発行された。 第一巻は、彼女が日記をつけ始めた中学3年(1963年)から、大学受験を控えた高校3年(1966年)までに書かれた日記に加え 高校時代の読書感想文(「アンネの日記」)を収録している。

この本を最初に知ったのは、私が中学時代(いや、高校の時かな?)の時。 当時購読していた雑誌(「中学or高校コース」)に 「わずか20歳で鉄道自殺した女子大生の日記。死後出版されて大ベストセラーになった」 と紹介されていたのを目にした記憶がある。 だがその時は 「ふーん」 といった感じで、どこか他の世界の話という印象しか持てなかった。2度目の出会いは、某資格関係の学校でアルバイトしていた10年ほど前。 たまたま立ち寄った本屋で、ふらりとこの本を手に取り、ぱらぱらとページをめくっていた。 夢中になって読んだ。 1960年代後半の学生運動の中で実際に起こった、どろどろとした世界。 著者はどんな人だろうとカバーの表折り返しに目を落とすと そこには「鉄道自殺した」という言葉が載っているではないか。 それが目に入った瞬間、雑誌に掲載されていた紹介文の記憶が鮮明に蘇った。 あの時読んだ雑誌に掲載されていた「自殺した女子大生の日記」というのは この本のことだったのか、と。 だがまたしても、私がこの本を手に入れることはなかった。 文庫本だし、その気になればまた手に入るだろうと思ったのだろうが 買わなかった理由は、今もよくわからない。

それから数年経過した2009年。 私は都内の書店にて この本と3度目の対面をする。 出版社が変わり、新装版になって復活したこの作品は 新刊書のコーナーに平積みになっていた 「この機会を逃すと、もう2度と出会えない」 5分後、私の鞄の中にはこの本があった。 2度目の時と同様、夢中になって読んだ。

この本を見て感じたことは 「時代は変わっても、学生が抱える悩みは永遠に不変なのだ」 ということ。 勉強。進路。夢。そして家族のこと。 みじみずしい感性(「お前なんかにいわれたくない」といわれそうで恐縮だが)で綴られるその世界は 時にいとおしく、時に切なく、そして時に哲学的だ。 「心臓弁膜症」という難病(後に「誤診」と判明する)を抱えながらも 彼女は、精一杯命の炎を燃やしていく。

はたから見て、彼女は恵まれた家庭環境に育ち 誰もがうらやむような学校に通いながらも(「県下一」の女子校出身である) 彼女の心は、いつも孤独だった。 成績向上を切に祈り 部活(バスケットボールの選手、後にマネージャーに転向)と勉強の両立を目指し 常に真の友を求めながらも 些細なことに傷つき、嘆き、悩む彼女。 「今やらなければいつやるの!」とわかっていても 目の前の快楽に走ってしまう女子高生。 人間関係をうまく築けず 友人にコンプレックスを抱いている作者。

そんな作者も、高校3年になると 明確に自分のキャリアプランを描くようになる。 当初は、簿記と英語をマスターすることを第一の目標にしていたが 「経済学部なり法学部なりを出ても女子の職業は限られている。 職業としてではなく、教養として学ぶのなら 私の性格からして、そっちのほうが適しているのではないか」 という理由で、彼女は大学で歴史学を学ぶことを決意する。 当時(1966年)は、大学を出ても男子と同等の職場が与えられるかという疑問が 彼女の頭の中にあったことは、日記でも触れられている。 第一志望を立命館にしたのは 歴史の重みを実感できる 「京都」という都市へのあこがれもあった。

中学時代の日記は、ところどころ「幼さ」が垣間見えるが 高校入学後、とりわけ高校2年生後半以降の日記は 哲学者としての顔を見せるようになる。 このあたりの心境の変化は興味深いが 今となっては、確かめるすべはない…

以下追記。 この本が約50年前より反響を得られなかったのは 「時代が違う」と思うしかないのだろうか? 当時は「一億総中流」」といわれるほど 生活に余裕がある人たちが多かったが 今は「自分たちの生活を守ることで精一杯」 という学生がほとんど。 彼らにとって「高野悦子」とは、もはや 「別世界の住人」 に過ぎないと思っているのだろうか。 そうだとしたら、あまりにも哀しすぎる……