Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「紀伊國屋書店新宿南店閉店へ」

私はゴールデンウィークに、紀伊國屋書店新宿南店(以下「南店」)を訪れた。店内にはお目当ての本を求めて大勢の人で賑わっていたので、巷間囁かれる「出版不況」というのはさほど感じなかった。 だが、その影で危機は深く静かに進行していた。それがこの記事。 [blogcard url=”http://biz-journal.jp/2016/05/post_15142.html″] タカシマヤタイムズスクエア(以下「TS」)に南店が開店したのは1996年だが、新宿に足を運んでいる人の多くは 「なぜ同じ地域に、同じ書店グループが、本店と同じ規模の大型店を開設するんだ?」 と思ったに違いない。その理由が、他の大型書店チェーンに縄張りを食い荒らされることを嫌った紀伊國屋書店が、損を承知で進出したというのが真相らしい。彼らが思っていたとおり、それからしばらくして、三越新宿店の3フロアを借り切る形でジュンク堂書店が進出してきた。もし南店が開店しなかったら、ジュンク堂がそこに進出したはずだ。1996年はインターネットが普及して間もない頃であり、当然のことながらネットショッピングという概念はない。ベストセラーも多かったから、同規模の店が2つあっても十分元は取れると判断したのだろう。だが新宿にブックファーストが進出し、アマゾンが急速に需要を伸ばしたことに加え、長年の出版不況もあり、その経営は火の車だったようだ。 [blogcard url=”http://toyokeizai.net/articles/-/118264″] TSに進出したのは、当時社内で絶大な権力を握っていた社長の意向が大きかったといわれる。だが月額の家賃が8,000万円、しかも一棟丸ごと借り切る形での契約だったため、エレベーターや避難階段の管理費、公共料金を加えると同社の年間負担額は10億円近くになった。黒字決算になったのは開店年度だけで、以後は毎年のように巨大赤字を計上し続けた。2009年に年間賃料を1億円以上減額することに成功したが、2012年3月末の三越新宿店閉鎖に伴うジュンク堂新宿撤退は、南店には追い風にならなかったのは大誤算だった。開店当時80億円あった売り上げも、現在の売り上げは30億円ほどにすぎない。今回撤退を決断したのも、大家である高島屋との家賃交渉が決裂したからだ。南店出店が、経営上において致命的なことになるという声は、社内にもあった。それができなかったのは、契約時に「20年間は解約できない」という、紀伊国屋には不利な条件があったからである。今年契約期間満了になることから、最上階の紀伊国屋シアターと6階の洋書フロア以外の売り場を閉鎖することにしたそうだ。7月いっぱいで1−5階の売り場を撤去し、そのあとにはニトリが入る予定だそうだ。 [blogcard url=”http://www.fashionsnap.com/news/2016-05-19/nitori-takashimaya-shinjuku/″] なぜ大家である高島屋は、紀伊國屋書店と賃料で折り合えなかったのか。それは、百貨店業界が抱える苦境が背景にある。その原因として少子化と不況、そして広がる一方の格差があげられるだろう。これらの要因が重なり合った結果、百貨店最大のお得意様だった「中間層」は壊滅し、日本から消えてしまった。 「国民総中流」の時代、中間層の旺盛な購買力が、百貨店業界の売り上げを支えていたことは確かだ。この時代は「物質的充実感」だけでなく「知的充実感」を求める人が多かった。彼らの知的欲求を満たすため、百貨店は書店を設け、美術館を開いた。小田急伊勢丹(現:三越伊勢丹)は建物最上階に美術館を設置し、旧三越、旧西武、東武は独立した建物を作るほどの熱の入れようだった。 しかし長引く不況のために、業界は美術館を持つ余裕がなくなった。百貨店業界は目先の利益に拘り、文化を捨てたのだ。三越美術館の跡地は大塚家具ショールームになった。旧西武系のセゾン美術館跡地には、北欧家具を扱うイルムスを経て、現在は無印良品が入居している。小田急伊勢丹亮美術館の跡地は別のテナントが入り、東武美術館は現在ルミネ池袋になっている。関東圏のデパートで、美術館を持つのは「そごう」だけになった。 今回の紀伊国屋撤退劇も、おそらく高島屋が「文化」を切り捨てる方向に走ったから、といえるかも知れない。上流階級から得られる売り上げは限りがあるし(呆れることに、あれだけ新自由主義を信奉する学者たちが力説していた「トリクルダウン」なる学説は、彼らの手で存在しなかった事が証明された)、中国人の「爆買い」も、いつ終焉を迎えるかわからない。高島屋経営陣はニトリの入居で、これまでと違った客層を呼び込むことで、より安定した家賃収入源を得ることを狙っているようだ。 南店は以前から、本店との棲み分けに苦戦しているという声が絶えなかった。今回の訪問で、さもありなんと実感した。 同じ建物に劇場があることもあり、演劇・映画・美術関係の本は、新宿界隈の大型書店の中でも充実している。しかし、それ以外の売り場が何とも中途半端なのだ。 その代表なのが4階の売り場。ここは文庫・新書がメインなのだが、重要なジャンルであるはずの「選書」が一冊も置かれていない。文庫も新書も一通り揃ってはいるが、肝心の品揃えがかつてのダイエーよろしく「何でもあるが、欲しいものがない」状態。特に岩波文庫の品揃えの悪さは致命的で、朝日文庫に至っては申し訳程度の品数しかない。その原因は2012年のリニューアルだと思う。3階にタリーズコーヒーを入れたため文学書が4階に移動になり、いままで新書、文庫に割り当てられたはずのスペースが消えてしまったからだ。新宿界隈で朝日文庫岩波文庫が欲しいと思っている人は、ここだけはやめておきなさい。新宿で文庫・新書・選書を買いたい人は、コクーンタワーにあるブックファースト新宿店をお薦めする。 5階も「自然科学」「医学」「コンピュータ」の理系と「人文科学」「社会科学」の文系がごちゃ混ぜ。建物丸ごと一つ使っているのにこの商品構成は、他の書店ではありえない。仮に好奇心旺盛で知識欲が貪欲な人がいたとしても、それを支えるだけの収入がある人は、今の日本にはほとんどいないだろう。書店で「爆買い」する階層が現実に存在する国なら、このような構成もありかも知れない。だが今の日本では「バブル景気」に匹敵する大型景気でもやってこない限り、経営陣が思うほどの結果は出ないだろう。 皆様もご存じの通り、新宿は若者の街であるが、多種多様の人が集うところでもある。映画の分野では大型のシネコンもあるし、小劇場など演劇を上演する劇場も数多いのだから、いっそのこと「人文科学「自然科学」といった種類は本店に任せ、南店は「ラノベ」「マンガ」「文庫・新書」「映画」「演劇」、そして唯一残る「洋書」に特化した方が、好結果になったのではないかと思える。 「書店」という文化事業を営みながら「自分の縄張りをヨソ者に荒らされたくない」という、まるでやくざのような論理で出店を強行し、そして破綻につながった今回の事態。そういえばこの会社とゆかりが深い演劇界も、表面上は「文化の香り」を漂わせているが、現実は体育会系顔負けの厳しい上下関係を、さも当然のように受け入れる人が圧倒的多数なんだよね。稽古でも、教え子や後輩をしばき倒す講師・先輩が多いという噂は絶えないし、武道の有段者も多い。そういう意味では、この二つの業界は相性がいいのかも知れないね。 一ついえるのは、上層部の無謀な決断で泣かされるのは、弱い立場の人間だということだ。正社員はもとよりパート・アルバイトの非正規社員、そしてこの書店の常連さんたち…彼らが受けた傷は深いだろうな、と思うのだ。