Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「2016年7月の読書リスト」

毎年この時期のメディアは、高校野球で勝手に騒ぐので、鬱陶しくてしょうがない。私が購読している新聞の地方欄は、高校野球予選の期間中、必要最低限のデータしか載せないからまだ我慢できる。しかし主催社の朝日新聞をはじめ大メディアは予選開催中、来る日も来る日も地方版で「さわやかな球児たち」「選手たちを必死で応援する学校関係者」を紹介する記事を掲載する。彼らの性格が記事に載ったとおりならいいが、そんな生徒にはめったにお目にかからない(あくまでも私個人の体験と印象に基づいているのであしからず)。問題は生徒の中に「問題児」がいる場合である。地方では教師を含め学校関係者は、地域の有力者と一体化(「癒着」ともいう)していることが多い。そのためスポーツに限らず、地域における学校の「看板部活」の関係者が不祥事を起こすと、彼らはありとあらゆるコネを駆使して、不祥事のもみ消しを計画・実行する。毎年発覚する部活関連の不祥事は氷山の一角に過ぎず、泣き寝入りする被害者も多いに違いない。まあ高校野球に限らずスポーツイベントに冷淡なのは、自身が「運動音痴」である事、私に酷い「いじめ」をしていた連中の多くが「運動部」に所属していたからなのだが。実際、とあるプロ野球選手が自著で 「高校球児を『さわやかな』と表現するのはいい加減やめて欲しい。オレの周りの高校球児は『酒・タバコ・オンナ』に夢中だった」 と、その内情を暴露しているし。高校野球ですらそうなのだから、他のスポーツも似たようなものだろう。 女子のスポーツ選手はどうかって?男子より少しはマシだろうと思いたいが、最近の女子は「肉食化」しているからね。おとなしそうな顔をしているが、ひとたび競技場を離れたら、男をとっかえひっかえしている、という伝聞記事を掲載された選手もいる。やっかみが混ざっているかも知れないが、真相はどうだろう? 今年(2016年)はオリンピック・イヤーだが、前回大会のロンドン・オリンピックに設置された選手村で用意したコンドームが、開催終了を待たずに全部なくなったとか、選手村で知り合った選手同士が、愛の世界に浸っていたという話が盛んに流れていた。実際に選手村に泊まっていた選手の証言だから本当だろう。ネタほしさに「枕営業」を仕掛けるメディア関係者もいるかも、というのはゲスの勘ぐりか。特に今回の開催地であるリオデジャネイロのあるブラジルは、男女間の貞操観念が希薄なお国柄(これも管理人の勝手な妄想です)だから、今まで以上のペースでコンドームが捌けるのでは?といらぬ妄想を思ってしまう管理人は、生まれてこの方彼女がいたことがない、哀れな中年男性である。 話は変わるが、このブログも開設以来、入場者数が10,000人を突破した。このような弱小ブログを訪れてくれる読者に、この場を借りて感謝したい。

それでは、今月読んだ本の紹介である。

 

演劇の力 ―私の履歴書
 

ベストセラー小説の書き方

地元書店の「お薦め文庫」のコーナーで紹介されていたので、気になって手に取ったところ、著者の波長とあいそうだったので購入した。 タイトルこそ「ベストセラー小説」と銘打っているが、実際は「売れる『アメリカ流エンターテインメント小説』の書き方である。発刊されてから30年以上経過しているため、アメリカ国内の出版事情やセールス方法を扱った冒頭3章については、感覚が「古い」と感じざるを得ない。また作者の考え方を、そのまま日本の事例に当てはめるのは無理がある。とはいえキャラクターの造形方法、プロットの立て方、スランプ克服法など、豊富な経験に裏付けられた彼の見解は、今なお説得力を持つ。筆者は短い簡潔な文体が好みのようで、形容詞を豊富に使った、日本流の長い文体を愛好する読者には、違和感をもつ可能性もある。最終章で取り上げられる「読んでおくべき作家」のリストは、著者の好みであるということをあらかじめお断りしておく。しかし、この本で取り上げられた作家たちは、作家志望の人間は、必ず目を通すべきである。そしてベストセラー作家になるためには、とにかく読み、書くこと。それ以外の近道はない。

ハイキュー!!(3)~(6)

今月読んだ範囲は、インターハイに向けてチームの骨格を固めるところから、インターハイ予選3回戦前半まで。 2回戦でエースの自信が回復したと思っていたら、今度はセッター・影山が、相手セッターに翻弄される。彼も彼なりに苦境を打開しようとするがうまくいかず、チームは第一セットを落としてしまう。この苦境を打開するため、烏養コーチはセッターを影山から、上級生の菅原に交代させる。影山とはまた違った彼のトスワークに、チームはだんだんと勢いを取り戻していく。 「強いスパイクを打てる方が勝つんじゃあないんだ。ボールを落とした方が負けるんだ。これが“繋ぐ”という事だ」 練習試合の相手である音駒高校総監督の台詞が、バレーボールという競技の本質を表現していると思うのは私だけではあるまい。この作品はよくある「スポ根マンガ」と違い、人間離れした身体能力を持つキャラクターや、現実世界では絶対できない「必殺技」の類いは出てこない。主人公が欠点のない「超人」で、それ以外の人物がどうでもいいような設定という作品は多いが、本作では主人公ですら、何らかのトラウマを抱えており、その原因になった出来事についても、きちんと触れているところに好感が持てる。 このマンガのいいところは、敗者の心理もしっかり描写しているところにある。運動部でレギュラー、あるいはスタメンとして参加できる人間は、ほんのわずかしかいないというのは、実際に競技に打ち込んできた人なら理解できると思う。予選を勝ち抜いて本大会に出場し、さらにそこで活躍して大学バレーボール部、あるいは実業団チームのスカウトに認められる選手は、それだけでエリートといえるだろう。社会に出てからも、何らかの形で競技に関わっていける競技経験者は、ほとんどいないのが現実である。 それだけに、第40話の内容は「感動的」という言葉すら、薄っぺらく感じるのだ。いい年こいたオッサンである管理人ですらそうなのだから、かように思う主人公と同じ年代の読者も多いに違いない。作者は「試合(時に「自分」)に負けること」もそうだが、「試合に出られないこと」「全力を出せなかった(と思う)こと」の辛さを知っている人間だ。なすべきことをやっても、なおかつ越えられない壁というのは存在する。問題は、その壁をどうやって乗り越えていくか。この作品は、単なる「スポ根」マンガではない。1つの話に、これだけ深い内容がこめられた漫画は、かつてあっただろうか。私の貧弱な表現力で、この話の魅力を伝えるのは大変難しい。どんな内容なのか気になる方は、自分の目で確かめて欲しい。

演劇の力

今年4月、80歳で亡くなった蜷川幸雄が遺した自伝・演劇にまつわるインタビュー、演出した舞台公演のプログラム案内で構成される大著。舞台稽古の時、彼は演者を厳しくしごき、時には人前で罵倒することもいとわなかったが、同時に彼の演出スタイルは、海外演劇界から高く評価された。その独特なキャラクターは、生来の人見知りで、友だちといるよりも一人の世界にふけることを楽しんだこと、母親が無類の観劇好きで、時には授業中であるにもかかわらず、観劇のために我が子を早退させるという生育環境によって生み出されたものである。 日本の演劇界でその名を知らぬ存在だが、その影でさまざまな挫折を味わってきた。芸大入学を希望するも不合格、それならばと俳優に進路を変更するも、その道では大役にありつけない。演出家に転向したらしたで、劇団の内紛に巻き込まれる始末。舞台芸術で名前を知られるようになっても、それが収入に結びつかないもどかしさは、本人以外にはわからない。 そんな彼がインタビューで見せる素顔は、情熱的で暖かい。半世紀にわたる盟友・清水邦夫への感謝の言葉。唐十郎を尊敬する態度。そして若手俳優に対する期待。彼の言葉を見ていると、この人は本当に演劇が、人間が好きなんだということがわかる。 「戯曲分析の方法」という概念を、私はこの本で初めて知った。この本を見て、舞台や戯曲に興味を持ってくれる人が、一人でも増えることを願う。

ちはやふる(32)

かるた選手権・団体戦で3位入賞を果たし、この勢いで個人戦でも上位入賞を果たそうと、意気上がる千早たち瑞沢高校かるた部の面々。千早も団体戦で果たせななかった夢を果たそうとするが、みたび彼女の前に、現クイーン・若宮詩暢が立ちふさがる。1年生の時は圧倒的な実力を見せつけられ、2年生の時は団体戦でのケガで実力を発揮できなかった千早。だが今回はクイーンに食い下がり、二人の試合を見ていた観衆は「ひょっとすると…」と思わせる試合展開になるが…。 物語開始以来、千早を巡る三角関係に変化の兆しが見える今巻。千早が新に送ったメッセージを誤解し、鬼のような形相を見せる志暢。これまで新のことを「たった一人の友だち」と思っていたが、このことをきっかけに、彼女の中に別の感情が沸き立つようになる。 31巻で3位決定戦をあまりに軽く扱ったことで、この作品の評価が暴落している。だが新野高校のかるた部顧問教師が「3ヶ月かそこいらでキャプテンシーが身につくわけがない」といっているとおり、作者は「個人戦と団体戦は全くの別物」という解釈で物語を進めており、管理人もその考えに同意する。太一との別離、新に勝ったこと、そして志暢と互角の勝負を演じたことで、眠っていた能力が目覚めた千早と、新に対し、今までとは別の思いが芽生え始めた志暢。この二人が、クイーン決定戦までにどのような道を辿るのか見守りたい。

発展コラム式 中学理科の教科書改訂版 物理・化学編

私の中学校時代、理科は「物理・化学」の分野を扱う「理科第1分野(理科Ⅰ)」と、「生物・地学・宇宙」の分野を扱う「理科第2分野(理科Ⅱ)」に分かれていた(現在は、学年別に分かれている)。文部科学省によれば「理科Ⅰ」の分野では「物質やエネルギーに関する事物・事象」を取り扱うそうである。本書は「社会人向けの、学び直しの教科書」と、現役中学生向けの「教科書の副読本」という性格を併せ持つ。現役中学生が、何を学んでいるのかを確認するとともに、英語による理科の専門用語、クイズやコラムが充実しているのが特徴である。 本書は、2011年に発生した「東日本大震災」が原因で発生した原子力事故を踏まえ、2014年に改訂版として新たに刊行された。本書では放射性物質の性質をわかりやすく説明しているから、読者はその危険性をよく理解できるだろう。しかしこの手の「解説本」にありがちなことだが、文体が全体的に硬く、理系アレルギーがこの本を読んでも、理解するのが難しいのが残念だ。かような症状を持っている読者は「理科的な考えを持つための本」と割り切ることも必要かも知れない。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(1)

宝島者主催の「このライトノベルがすごい!」の作品部門で3年連続1位に輝く、恋愛系ライトノベル作品の傑作である。ファン及び関係者からは「俺ガイル」の愛称で親しまれ、これまで2回(2013年4~6月2014年4~6月)アニメ化されている。だが近年この分野の人気作は、最終巻でこれまでの設定や経緯を無視し、散りばめられた伏線を強引に回収する作品が目立つ。そのため読者からはあらん限りの罵声を浴びせられ、その評価が「名作」から「最低最悪の凡作」に転落する作品が目立つ。このシリーズも例外ではなく、本編最新刊(第11巻)によせられる評価も、これまでより低くなっている。そのためこのシリーズの最終巻も、これらの作品と同じような評価を貼られるではないかと不安視するファンも多い。 県立総武高校に通う主人公・比企谷八幡は、提出した作文が担当教師の逆鱗に触れ、そのひねくれた性格を矯正するという名目で、「奉仕部」という得体の知れない部活動に、強制的に参加させられる。そこで「奉仕部」の部長を務める女子生徒・雪ノ下雪乃と出会い、彼女と一緒に「奉仕部」にやってくる生徒の課題を解決すべく奮闘する…。 彼女は見た目美人だが、八幡すら辟易するほどの毒舌と、どこか世間ずれした感覚の持ち主。彼女の父親は現役の県議会議員であり、将来の夢は「父の後を継いで出馬」とあるが、現状ではそれすら叶わないだろう。二人以外のキャラクターも、コギャル然とした女子生徒、重度の厨二病患者、下手な女子生徒よりもかわいい「男の娘」など「ああ、こいつら現実世界にもいるわ」と思わせるものばかり。だが「男の娘」はともかく、他のキャラクターは一種の「人格障害なのでは?」と思われる部分も見られる。最新刊では悪評ぷんぷんらしいが、ここではその片鱗はない(当たり前だが)。さて八幡と「奉仕部」の面々は、今後どのような学園生活を送るのだろうか?

パレス・メイヂ(1)

2014年の「このマンガがすごい」6位に選ばれた少女マンガ。明治~大正時代の日本と、戦前の皇居内に存在した明治宮殿を舞台に描かれる、若くして崩御した父帝の後を継いで即位した少女帝と、少年侍従(本作では「侍従職出仕」→「仕人(つこうど」)との交流を描く物語である。地元書店のマンガコーナーに堂々と飾られており、以前から気になっていた作品だった。 御園子爵家の次男・公頼は、実家の経済的な苦境を救うために、宮中に侍従職として出仕する。公頼はある事件をきっかけに少女帝と知り合い、やがて彼女に淡い恋心を抱くようになる。彼女は「今上帝」ではあるが、年少の弟が帝に即位するまでの中継ぎに過ぎない。そのため将来弟に譲位しても、結婚・出産はおろか恋愛も禁じられているという、極めて不条理な宿命を背負わされている。公頼はそんな彼女の信頼を得たい一心で、彼女に仕えるようになる。 帝と公頼に流れる淡い恋心を静かに紡いでいく物語の進行は、どことなく切ない雰囲気が漂う。壁紙や調度品も、当時のものをできるだけ丁寧に再現されており、読者の評価が高いのも納得である。各話は公頼の回想の台詞で終わるところから、おそらく彼がその頃を懐かしく思って書き記した日記を、忠実に再現した物語とらえることもできる。この二人は、いったいどんな運命を辿るのだろうか?第1巻だというのに、私の頭の中には哀しい結末しか思い浮かばないのだが。