Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

世界のピアニスト

昨年(2012年)5月に鎌倉市の自邸で、98歳という天寿を全うした音楽評論家・吉田秀和氏は生前、夥しい量の著作を遺した。クラシックCD雑誌「レコード芸術」(音楽之友社)や朝日新聞の夕刊文化欄で長く健筆をふるい、NHKーFMの音楽番組「名曲の楽しみ」の番組構成・司会を約40年間続けた(死去後、未放送分の番組校正原稿が見つかったという)。 周囲は「吉田氏は、それまでの音楽評論のあり方を変えた」といわれるが、彼の紡ぎ出す文章は深く、かつ幅広い教養に裏付けられ、なおかつ正確な楽譜の読譜力に基づいたものでありながら、その文体は評論文にありがちな「お説教臭い」ものではなく、自らの感性をありのまま表現する「随筆」に近い。吉田氏以前の「音楽評論」は楽譜についてはほとんど触れられていなかったらしいが、彼の著作物の多くには、必ずと言っていいほど譜面が掲載されている。これは、吉田氏の母親が楽器を嗜み、彼自身も戦後音楽教室の開設に関わっているからだと思われるが、詳しい経緯はよくわからない。氏の仕事の多くは30年間という年月を経て、全24巻の「吉田秀和全集」としてまとめられ、そのうちのいくつかは新潮文庫ちくま文庫で読むことができるが、この本はそのうちの1冊である。 評論家としての活動期間が長かったこともあり、この本で彼が取り上げているピアニストも、20世紀前半に一世を風靡したフィッシャーシュナーベル(以上ドイツ)、ハスキルリパッティ(以上ルーマニア)、ホロヴィッツラフマニノフ(以上帝政ロシア→アメリカ)から、現在も第一線で活動している内田光子(日本)、ピリスポルトガル)、ツィンマーマンポーランド)まで総勢28名のピアニストが取り上げられている。だが残念ながら、この書籍で取り上げられているのは斯界で名を成す演奏者が圧倒的多数であり、“90年代に台頭してきた「若手実力者」についてはほとんど取り上げられてない。日本人で取り上げられているのは内田光子だけであり、“50年代以降生まれの奏者も2人だけと、寂しい状況である。 確かに、“80年代後半日本のクラシック演奏会を席巻した「ブーニン」「キーシン」ブームは一般メディアも巻き込み、掲載される記事はさながら「アイドルタレント」顔負けのノリであったことは否定できない。たいした実力もないのに「イケメンだ」「美人だ」「○○コンクールで入賞した」(それですら「たまたま」だったかもしれない)だけで続々とコンサートやCDにデビューし、周囲もちやほやしすぎて本人も天狗になり、結果的に伸び悩んで第一線から消えていった演奏家は沢山いる。吉田氏が「若手演奏家」についてこの本で取り上げなかったのは、そういう風潮に我慢ができなかったからではないか?と想像してみる。実際この本には、キーシンブーニンも取り上げられていない。収録された論考も、内田、ガブリーロフ、ツインマーマンを扱った項目以外はわずか5本だけであることも、彼が「若手演奏家」について厳しい見方をしていたのでは?と思われる。 吉田氏の評論スタイルの大きな特徴は、レコード(CD・DVD)演奏というものをほとんど信用せず、自分で演奏家のライブ演奏を聴いた上で、演奏スタイルに触れていることだ。この本に掲載されているピアニストで、ライブ演奏を聴いていないのはリパッティなどごくわずかである。遺されたレコード(CD・DVD)演奏がどんなに世間で「名盤」といわれていようと、自分がコンサート会場で聴いた演奏が期待外れだった演奏者に対しては厳しい判定を下すことも厭わない。フィッシャーについては「元々練習嫌いで有名だったから、私が聞いた時(’50年代末)には(テクニックが衰えていて)もうダメだった」、フランソワの最後の来日コンサート(’69年)では「かつての生彩ある輝きがなくなっていた」と嘆いている。 さらに氏のピアノ評論で忘れてはならないのは、ホロヴィッツの初来日時の演奏(’83年)について「ひび割れた骨董品」と称したことであろう。それまで発売された数々の名盤で、日本のクラシック愛好家からは「巨匠」と称えられていたが、初来日時はすでに齢80近く、しかも以前にも長期休養→復帰というサイクルを繰り返していたため、かつてのような演奏は期待できるのかという不安があったのは確かだが、それを差し引いても吉田氏の文章は、各方面に波紋を広げた。その内容は本書303pからの「ホロヴィッツをきいて」に詳細に論じられているが、一読しただけで、この演奏がいかに期待外れなものであり、法外なギャラを払って呼んだ興行主のためであっても、その日あの会場にやってきた聴衆が満足できる内容ではなかったことがわかるだろう。部分的には過去の栄光を感じさせるものであっても、高額な入場料(一説には50,000円の入場券もあったという)に見合うレベルの演奏ではなかったのは確かなようだ。 この時の演奏について、吉田以外の評論家も違和感を表明している。評論家の石井裕氏は著書「帝王から音楽マフィアまで」で、この時のホロヴィッツは重度の麻薬中毒になっており、とても演奏できる状態じゃなかったということを暴露しているし、同じく評論家の宇野功芳は、著書「名演奏のクラシック」のホロヴィッツについた取り上げた項目の中で 「日本の舞台で我々が目に見し耳にしたのは、もう老醜としかいいようのないものだった。(中略)ほとんどは驚くほどわがままな演奏ぶりで、そこには知性や教養は微塵も感じられなかった。」 と酷評し、そうなったのは 「知性や教養の裏付けを持たず、生まれながらの鋭い感性と表現力だけで勝負してきた」 だと結論づけている(同前 147p)。 この時の演奏会で、日本の徴収に苦い失望を遺したホロヴィッツは、その3年後に前回の不名誉を回復するために再び日本でコンサートを開き、前回とは打って変わった「名演奏」を披露する。だが吉田氏はその演奏にも不満だったようで、この時の演奏について 「今の彼を『大家』と呼ぶならば、それは小品の演奏で偉大だからである」 と皮肉っている。裏を返せば、大作での構成力、弱音・効果音の使い方に不満を表明したのである(同書「ピアニスト・ホロヴィッツ」)。宇野が書いたホロヴィッツの演奏会について、’83年か’86年のものかは記載されていないが、おそらく2回のコンサートを通じて書いたものだろうと思われる。 ただし、ホロヴィッツ麻薬中毒だったかどうかは、私は過分にして知らない。海外とは違って、事件やスキャンダルを起こさない限り、日本のメディアが、クラシック音楽家のプライベートな部分に触れることはほとんどない。それはほとんどの日本人が、クラシック演奏家は「一般人とは関係ない社会の人」という認識だからに他ならない。不倫しようが何しようが、日本人の演奏家はなんとすばらしい環境にあるのだろう!と皮肉を言ってみる。 クラシック評論の世界では「録音の魔術」という言葉が頻繁に使われる。実演では素晴らしいのに、録音ではその魅力が伝わっているとは言いがたい演奏家もいるし、逆に、録音では数々の名演を遺しているのに、実演では聴衆を失望させてばかりいた演奏家もいる。日本の聴衆にとってホロヴィッツは、典型的な後者の例に入るだろう。彼の場合「円熟期」と言われていた時代が戦争とかちあい、戦後の混乱期が収まったと思ったら、今度はホロヴィッツ自身が心身の不調を抱えて長期の休業に入ってしまった。レコードで名演の数々を聞けるとはいえ、日本と彼の関係は、めぐり合わせが悪かったとしか言い様がない。 この本に掲載されているピアニストで、数少ない例外がグレン・グールドである。なぜなら、グールドの演奏会を聞くチャンスを、吉田氏は逃したからである。1回は演奏会の翌日に現地に到着したために聞きそびれ、もう1回はグールドに起こったアクシデント(事故か病気かは忘れてしまったらしい)がその理由だ。彼は日本でいち早くグールドの演奏と解釈を評価した評論家である。グールドが、バッハの演奏についてこれまでの伝統を打ち破り、ノン・レガード奏法(ピアノのペダルをほとんど踏まない奏法)を大胆に導入した、というのがその理由である。その表現があまりに大胆だったため、当時の日本のクラシック音楽評論家は彼の革新性を評価されないことに、吉田氏は憤りを感じていたことがこの本から伺える。 この本からもわかるとおり、吉田氏はレコード(CD)の演奏ではなく、コンサート演奏を重視していた。表現方法やテクニックだけでなく、時にはステージマナーやもろもろの行動を含めて、演奏者の評価をするよう心がけた。世間の評判ではなく、自分の目で見て、耳で聞いて確かめ事だけを文章に表現していく。しかもその表現はありとあらゆる分野に渡る、広範でかつ深い知識欲に裏付けられたものなので、心に理解するにはかなり難しいものがある。 言葉遣いが柔なく上品なので、一回読んだだけで多くの読者は彼のファンになっていくだろう。だが、彼の言いたいことを理解するのは非常に難しいということが、彼の文章に接する機会が多ければ多いほどわかってくるだろう。私は10年近く「レコード芸術」に連載された彼のエッセイを読み続けたが、時に味わいがあり、含蓄のある彼の文章を理解できたかどうかは極めて疑わしい。ひょっとしたら、字面だけを見て『分かった」つもりになっていたのかもしれない。FM放送での語り口も文章同様柔らかかったから、なおさらそう思うのだ。 音楽評論業界の「知の巨人」吉田秀和。 彼に続く評論家は、今後出てくるのだろうか?