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Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

大学の平和学習 ~大学教育の新しいうねり~

生まれて初めて「ホームページ」なるものを作り 生まれて初めて「書評」なるものを書いた、記念すべき第一作目。 それをそのまま転載します。

平和文化
発売日:1991-03

 出版日を見てもわかるように、これは今から10年以上前に出版されたものである。また、肩書きも当時のものであるということをあらかじめお断りしておきたい。ひょっとしたら、絶版になっているかもしれない。  管理人はクルーズからの帰国後、ある会合で再会した伊藤教授から手に入れた。この本を読んで、各論者達の平和教育に関する熱い思いを感じることができた。  1991年といえば、戦後まもなく発生した東西冷戦が1989年に終止符を打ち、やっと世界中が待ち望んだ平和がやってくると思ったのもつかの間、翌年発生したイラクのクゥエート侵攻がきっかけになって湾岸戦争が発生し、その戦争もアメリカの勝利に終わってアメリカの一極支配が始まろうというという時だった。  アジアでは長年続いたカンボジア内戦がようやく終結し、日本が自衛隊を派遣するかどうかでスッタモンダあげくにPKO法案が成立し、自衛隊の海外派遣に道を開いたのもこの年の出来事である。今年(2002年)にアフガニスタン復興会議が開かれ、各国が支援金額を決めたのだが、この先駆けとなったのはカンボジア復興会議だったということは以外と知られていないのかもしれない。この本が出版された時代背景として、このことを頭に入れておいた方がいいかもしれない。  まず気がつくのは、平和学というのはありとあらゆる分野から成り立っているということである。そして、昨今平和学で盛んに語られている「構造的暴力」という言葉は、ノルウェーの平和学の泰斗ヨハン・ガルトゥングによってこの頃から提唱されているというのは驚きである。  構造的暴力というのは、食料の分配の偏りからくる飢餓、有効な治療法が確立されていながら、医療が行きわたらないために結核等によって落命するする人々の存在、経済的・社会的格差に起因する諸問題、人種・性別・民族・出自などにまつわる様々な差別、環境破壊が引き起こす様々な被害など、不条理な苦痛を強いられて自己表現を阻まれ、その意味で暴力が存在しているにもかかわらず加害者が特定できない状態のことである。戦争・紛争だけでなく、これら「構造的暴力」を克服することなしに真の平和はあり得ないというのがガルトゥングの主張である。そのためには経済的・社会的格差の問題、被差別少数者・集団を巡る問題、公害・環境破壊問題など、現実におこっている構造的暴力の解明に努めなくてはならず、そのためには幅広い分野を学ばなくてはいけないのである。第5章でそのことを取り上げられている。当時四国学院大学(香川県)でそのような試みが行われていたのは驚きだが、言い出しっぺである岡本三夫氏(現:広島修道大学教授)、横山正樹(現:フェリス女学院大学教授)が去ってからは、同大学に「国際平和学コース」がなくなってしまったのは残念である。カリキュラム抜粋を見ると、当然の事ながら国際関係の科目にウェートが置かれているが、'80年代に南米で盛んだった「開放の神学」、当時としては最新の学説だった「マイノリティー論」「フェミニズム論」などが扱われているのがユニークである。また平和学特講の中には「ガンディーの思想」が取り上げられている。これは、ガンディーの「非暴力思想」を研究するためのものだろうと思われる。また学校内の座学にとどまらず、「国際平和学研修」という科目を設けて、実際に現地を訪れて生徒の目で確かめようという活動も行っていた。この活動は明治学院大学の国際学部にも受け継がれているようだ。  最近は各NGO団体も「スタディーツアー」と称して、現地の実情を見てもらおうという活動が活発だ。ピースボートの成功がきっかけになったのか、各NGO団体も自分たちの主張を知ってもらうだけでなく、現地に連れて行って興味のある人 と、現地の人との交流と相互理解を深めようという企画も増えてきた。四国学院大学の試みも、狙いはそういうところにあるのではないかと思う。  第6章、第8章、第9章では理系の分野からの平和教育が取り上げられている。この本が書かれた当時はオカルトや超魔術がブームの時代で、科学の分野から見るとそういうのはあり得ないと言うことを理解させるために苦労した形跡が、この本から見て取れる。「超魔術」を社会における「不合理」に見立てている点が、いかにも理屈を重視する理系の研究者らしい。特に第6章ではこれが顕著である。理系からのアプローチということで、やはり避けられないのが核兵器だが、必ずしも講師の一方的な話だけでなく、学生の感想を聞くなどコミュニケーションを取りながら授業を進めているというのがわかる。  最終章では学生生協における平和運動の試みがあげられている。キーワードは「連帯」、それも緩やかな「連帯」ある。従来の平和運動は堅苦しく、しかもやたらと感情的な部分が目立ち、それが「平和運動」に対する嫌悪感を持っていた人間も多かったのではないか?平和運動というとあのシュピレヒコールというのがイヤだ、さも俺たちは正しいんだという態度をとっているからイヤだという意見が目についたのだが、'80年代後半からは従来の形とまた違った、新しい形の平和運動をやっていこうという動きが少しずつ目立ってきた。今ではChance!などに代表されるように「立場を乗り越え、自分たちにできる形で平和を訴えていこうというのが大多数だが、その新しい息吹が今から10年以上前にあったということは驚きである。  にもかかわらず私の目から見て、'90年代前半は平和運動は停滞気味だったようなような気がしてならないのである。だがインターネットが積極的に市民運動の世界に取り込まれるようになって、市民運動は徐々に息を吹き返した。'99年のハーグ国際会議の成功、そしてハーグ平和アピールに日本国平和憲法第9条の精神が盛り込まれ、新しいプロジェクトが続々と立ち上げられられている。「国際平和旅団(PBI)」の精神を盛り込んだ「国際非暴力平和隊」、「ハーグ平和教育キャンペーン」などであり、ユネスコも「平和の文化」プロジェクトを立ち上げた。そして「9・11」以降、平和を求める声はますます高まっている。今はただ「平和」を訴えるだけでなく、平時から教育等を通じて平和について考えていこう、貧困を撲滅するためには、調和のとれた発展とはどういう事かについて考える人間も増えてきた。アフガン復興とその復興会議でNGOが重要なファクターになっているのはは誰の目にも明らかだ。  この本は、「平和学」について様々な分野から考えるにはぴったりの本だと思う。  最後に、以下の文章を引いて幕にしたい。  「好きなもの、たくさんの木々や花、川、そしてすべての人間を苦しい目にあわせるものは許さない。たくさんの命や、これから出会う人々、景色を、可能性を信じている」