読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

生きさせろ! 難民化する若者たち

雨宮処凛は、「右翼」の人間として世に出た人である。 初期の頃の著作に「ミニスカ右翼」という枕詞がつくのは、そのためである。 ところがイラク戦争(2003年)をきっかけにして、彼女の思想は「右」から「左」へと転換する。 近年は「ワーキングプア問題」に積極的に関わり、現在は「反貧困ネットワーク」副代表を務めている。 「ミニスカ右翼」がなぜ「反貧困」を叫ぶようになったのか? その原点が、この本にぎっしりと詰まっている。 なぜなら、彼女自身が「階層の固定化」の波に巻き込まれかねなかったから。

今でこそ「作家」として名前が知られている彼女だが、高校時代は美大への進学を希望していた。 ところが当時住んでいた田舎では、美大志望の高校生がどんな勉強をしているのか全くわからない。美大予備校に通うために上京するが、東京の美大予備校は地方のそれよりも遙かにレベルが高く、美大進学をあきらめ「フリーター」への道をたどることになる。 その後はアルバイトを転々とするが、いちばんつらかったのは「フリーター」というだけで社会的信用がないということを実感したことだった。お金が足りないと、真っ先に疑惑の目を向けられるのは「フリーター」である。求職のために電話をすると、先方から「フリーターお断り」と一方的に断られたこともあった(私にも全く同じ経験をしている)。「風邪を引いたから休む」といったら、雇い主から「明日からこなくていい」と解雇され、別のバイト先からは「経営が苦しいから」辞めてくれといわれたこともある。当時の境遇を、自分の努力不足だとあきらめていた作者だが、今は自信を持っていえる。「これらの行為は、労働基準法違反だ」と。 「夜の社会」にどっぷりとつかり、将来性が全く見えなかったある日、たまたま「作家デビュー」の機会を得てフリーターから脱出することができた作者だが、彼女はそのことを 「ただの偶然に過ぎず、奇跡が起きなかったら、私は未だにフリーターのままだったろう」 と述懐していることから、彼女にとって「フリーター」の時代は、思い出すのも嫌な時代なのだということをうかがい知ることができる。 しかし、彼女が「フリーター」という選択をした’90年代後半は、「フリーターは新しい働き方のモデルを示すものである」という評価をされていた。メディアはこぞって「『フリーター』という生き方は代わり映えしない『サラリーマン』的生き方を否定するものだ」とはやしたてた。求人誌には、フリーターの気持ちを代弁しているキャッチコピーが踊っていた。しかし、うわべだけの「自由」の代償として、年とともに賃金格差が拡大すること、生活が安定しないことを指摘するマスコミは、当時皆無に近かった。またフリーターでも労働基準法によって権利が守られていること、年金に加入できることを指摘するメディア・識者もほとんどいなかったと記憶している。「派遣切り」「雇用劣化」の芽はこの時代にまかれていたのだが、これらのことを指摘せず、今になって「派遣切り」「雇用崩壊」と騒ぎ立てるメディア・識者には本当に腹が立つ。 では、「正社員」になれれば「安定した生活」を手に入れることができるのか? 答えは「否」である。 作者の弟は、大学を出てフリーターを経た後、地元のY電機(本書ではイニシャルだけしか明記されていないが、内容を見る限り「ヤマダ電機」のことだと推察される。本文中でイニシャル表記になったのは、ヤマダ電機の圧力を恐れたからだとしか思えない)に契約社員として就職し、1年後には念願の「正社員」に昇格するが、社員になったらなったで、毎日のように早朝出勤・深夜残業。それが連日のように続き、顔には死相まで表れた。家族の説得で会社を辞める事になったが、彼は最終出勤日は午前4時まで働かされた。「もっと早く帰れないのか?」と疑問に思う人も多いだろうが、店長も毎日深夜まで働いているため、部下はそれより早く帰宅できないのだ。彼の月収は手取りで32万、1時間あたりに換算して、時給700円という事実に、作者は憤りを覚える。 法令無視の労働環境で社員をこき使い、労働基準監督局の査察が入らないよう、出退勤のシステムに巧妙な仕掛けをする。社員の家族が労基局に訴えても、労基局職員はなんだかんだと理由をつけて動かない。社員をぼろぼろにこき使って使い捨てる一方で、会社の株価は最高値をつけ、自分の子供が交通事故死した時には「将来の社長候補」という理由で、相手に高額の損害賠償を請求する。「普通に就職して、普通に働きたい」と希望する若者に対する、経営者の仕打ちがこれかよ!と思わせる事例の数々には、本当にあきれる。労働者を「人」ではなく「モノ」としか見ていないからだ。 新刊紹介雑誌「ダ・ヴィンチ」での書評欄で、「ネットカフェ難民」を扱うドキュメンタリーは、現代のホラーだと書かれた一文を見た。「ホラー」も、映像の中にとどまっているうちはまだいい。嫌だと思ったら、見なければいいだけの話だ。だが現実世界に「ホラー」の概念が生まれたら?いや、今の労働環境は「ホラー」よりもひどい。働かず、家に引きこもる人間に世間は「落伍者」「怠け者」のレッテルを貼り、「自己責任」という概念でバッシングを正当化する。それが「命」を守る目的であっても。 作者自ら「労働」で塗炭の苦しみを味わっているだけあって、この本に取り上げられている事例には説得力がある。虐げられる者は立ち上がって抵抗せよ、と主張する。一読して、表現がとげとげしいという人間がいるかも知れないが、逆に彼等をそのような状況に追い込んだのは誰なのか、徹底的に追求する姿勢を見習いたいと思う。