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Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

不忠臣蔵

この作品は、1980~1984年の足掛け5年間にわたり、小説雑誌「すばる」に連載された作品である。単行本は1988年10月に刊行され、92年に一度文庫化され、昨年リニューアルという形で新たに文庫版として今回世に出た。 なぜ連載が5年間続いたのかというと、この時期の井上ひさしは猛烈に忙しい時期で、数多くの連載小説の他に、自分が主催する劇団『こまつ座」の戯曲(脚本)執筆も同時進行でやっていたため、断截・休筆を余儀なくされることが多かったからだ。 ファンのかたはご存知だと思うが、彼は文壇でも相当な遅筆家で有名であり、劇団の初日公演は彼の遅筆との闘いであったと言っても過言ではない。実際、脚本完成はいつもぎりぎりであり、時には初日当日、時には完成が間に合わないために初日を当初の日程からずらさなければならない事もしばしばであった。脚本が出来上がらない以上、演出としては全体を見通しての演出プランが立てられず、俳優・女優も困惑しきりであったのではないか?おまけに、彼はDVの気があり、何かあると妻に暴力を振るっていたという。ある関係者は 「彼は、妻に暴力を振るわないと名作が書けない」 と皮肉っていたそうだ。これが後に、泥沼の離婚劇に繋がるのだが、彼のDV癖は、この猛烈な忙しさと関係あるのではないか?と勘ぐってみたくなる。 だが、そういう状況下で生まれた作品が「粗製濫造」かというと、全く違うのは、この作品を見れば理解できると思う。「忠臣蔵」を題材にとった本作品では、地図を中心とした当時の資料をきめ細かく収集し、丹念に取材して文言を徹底的に読み込み、さらに自分で当時の絵図面を復元して執筆に取り掛かったことを、関川夏央が解説で触れている。 さてさて、皆様は「忠臣蔵」と聞いて、どんなイメージを持たれるだろうか? 私が小さい頃に読んだ「忠臣蔵」の物語は、塩の利権をめぐって赤穂藩藩主浅野内匠頭長矩が、幕府高家衆吉良上野介義央にいびり倒され、これまでの恨みつらみを募らせた浅野が、江戸城松の廊下で吉良に切りつけ、その日のうちに浅野には形ばかりの取り調べの後に切腹が申しつけられ、赤穂53,000万石は没収され浅野家はお家断絶、さらに藩士が「跡継ぎ」にと思っていた藩主の弟・浅野大学長広は広島の浅野本家預かり(江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉死後に旗本復帰)になるに及び、 「わが主君は即刻切腹になったのに、仇敵・吉良は何のお咎め無しなのは納得いかない」 と、その処分の不公平さに憤った赤穂藩家老・大石内蔵助良雄が義士47名を率い、翌年12月14日に吉良邸に討ち入り、見事に本懐を遂げ、当時の江戸庶民はもとより、幕閣幹部も彼らの行為を内心ではたたえた、というものである。 しかし、この本を読むと、従来の「赤穂義士」に対するイメージがガラリと変わってしまうだろう。 歌舞伎の世界で描かれている浅野内匠頭は、部下思いの賢君であり、私が小さい頃に読んだ赤穂義士の本にも、彼は「部下を可愛がる賢い殿様」として紹介されている。 ところが、史実及びこの本で書かれているこの殿様は 「気まぐれで短気、癇癪持ちで躁鬱持ち」 であり、自分が気に食わない行動をとった部下は簡単に暇を出す暴君だったとされている。病弱なところもあり、よく寝込んでいたらしいが、解説した関川夏央は、時の将軍・徳川綱吉政権時代の江戸は、後世から悪名高い「生類憐れみの令」で、動物はおろか、病原菌をばらまく蝿や蚊などの殺生も禁じた(溝さらいで害虫を殺害した町名主が遠島になったという、嘘のような本当の話が残っている)ため、マラリアなどの伝染病などが蔓延しており、浅野のこれらの性質は、それらが多分に影響した可能性を指摘している。これが本当ならば、浅野内匠頭もまた、当時の法制度の犠牲者であるかもしれない。 「赤穂義士」と「生類憐れみの令」で暴君の代表と言われている綱吉だが、実際は民との関係を重視する名君であると同時に強烈な尊皇思想の持ち主でもあり、歴代将軍の中でも朝廷との関係を極めて重視した人物である。浅野長矩が松の廊下で刃傷に及んだ際、その場で即日切腹を命じたのも、事件が発生したのが江戸城中で開催されていた朝廷との行事の最中であり、内匠頭の刃傷沙汰を「将軍家のメンツを潰した」許せない行為とみなしたからだ、と言われている。実際、この本の中にも事件発生時 「殿様が吉良殿に切りつけたのは、うつ状態だったからでは?」 と述懐する元藩士が登場するくらいであるだから、彼らの大部分は 「殿様の精神状態は不安定だ。いつか取り返しのつかないことをやらかすのではないか? と怯えていても不思議ではない。 これらの事実を知ったら、読者は一様にこう思うだろう。 「何だ、浅野内匠頭はこれまで言われていたような『賢君』ではなく、今風で言えば『すぐにキレるアブない奴』じゃないか。なんで彼らはこんな主君の仇討ちをしようと思ったのか?」と。 これについては、私はこう考えている。 彼らは事件が発生して間もないころは、主君の仇討ちというのはこれっぽちも考えていなかった。 ところが、この事件が起こったのは「江戸時代」である。当然のことながら、現代みたいにメディアは発展しておらず、庶民にとっては「かわら版」業者がくれる情報だけが頼みである。もし彼ら「かわら版」の発行元があることないことを庶民に吹きこみ、煽ったら庶民はどう動くだろうか? デマや根拠のないうわさ話を信じた江戸の庶民が 「浅野はかわいそうだ!」 「赤穂藩士たちは主君の仇を討たないのか?」 「憎っくき吉良上野介天誅を!」 と連日騒ぎ立てたのは想像に難くない。 頭を抱えたのは、誰あろう筆頭家老大石内蔵助良雄以下、旧赤穂藩士の面々である。何しろ江戸市中の庶民が伝える「浅野内匠頭長矩」の実像は、彼らがよく知る主君の実像とは、似ても似つかないものだから。だがいつまでたっても収まる気配のない庶民の 「赤穂藩士は主君の仇を討て!」 という無責任極まりない声に引っ込みがつかなくなり、彼らは止むに止まれず「義士」として、あの「吉良邸討ち入り」に及んだのではないか?それを思うと、彼ら旧藩士の心中は察して余りある。 当然のことながら、生前の主君にいい印象を持っておらず、この討ち入りに参加しなかった藩士も少なからずいたはずであり、この本には参加しなかった藩士19名の物語が収録されている。文体は当時の江戸っ子を彷彿とさせる、落語家がしゃべる口調が採用されているので、落語が好きな人間は無論のこと、そうでない人間も当時の江戸風俗に関心がある人間だったら、その世界にすんなりと馴染めるだろう。 涙無くして読めない人情話あり、主君のわがままに人生を狂わされた話ありと盛りだくさんだが、全19話に共通しているのは、話のオチがあっと驚かせられる展開であり、推理小説顔負けであるということである。 彼らはなぜ討ち入りに参加しなかったのか? まあそれは、読んでみてからのお楽しみということで…