Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「2015年6月の読書リスト」

どうやら国民も、安倍政権の正体に気がついたようだ。 きっかけは国会の憲法調査会で、自民党推薦の憲法学者が「今国会に上程されている『安保法案』は憲法違反である」と明言したこと。 これをきっかけに、憲法学者を中心にありとあらゆる学者が「安保法制反対」の声を上げはじめた。 さらに自民党国会議員らが、党内で開催した勉強会で「沖縄のメディアは『左翼』に乗っ取られている」と発言したことで、反安倍政権の声がヒートアップした。 国民は「戦争法案阻止」に向けて動き回っているが、政権サイドには彼らの意見に耳を傾ける姿勢が見られない。 意地でも彼らは法案成立に向けて突っ走るらしいが、そうなったらどうなるのだろうか?’60年安保の再来ということはありえないと思うが…

というわけで、先月読んだ本のご紹介。

トマ・ピケティの新・資本論トマ・ピケティの新・資本論 読了日:6月3日 著者:トマ・ピケティ
イニシエーション・ラブ (文春文庫)イニシエーション・ラブ (文春文庫) 読了日:6月4日 著者:乾くるみ
オシムの言葉 (集英社文庫)オシムの言葉 (集英社文庫) 読了日:6月8日 著者:木村元彦
ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫)ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち (メディアワークス文庫) 読了日:6月15日 著者:三上延
ニセコイ 17 (ジャンプコミックス)ニセコイ 17 (ジャンプコミックス) 読了日:6月17日 著者:古味直志
哲学散歩哲学散歩 読了日:6月23日 著者:木田元
数学ガールの秘密ノート 式とグラフ数学ガールの秘密ノート 式とグラフ 読了日:6月24日 著者:結城浩

1.トマ・ピケティの新・資本論

大ベストセラー「21世紀の資本(以下「資本」)」の著者が、2005年~14年に、フランスの中道左派系日刊紙「リベラシオン」に掲載してたコラムをまとめた書籍である。皆様ご存じの通り、彼の代表作「資本」は700pを超える大著の上、書かれている内容があまりにも一般人に理解することが難しいといわれていることから、彼の根本的な主張を理解するためにこの本を読んで見た。 一言で言えば、彼が「資本」で主張していることは、10年以上前からの持論である事がこの本を読めば理解できるだろう。富裕層に対する課税を強化すべきだという彼の意見は、事ある毎に繰り返し出てくるところから見ると、この問題は彼のライフワークというべきかも知れない。このほかにも法制度の不備、多数の問題を抱える教育制度、国内左派のていたらくなど、日本でずっといわれている問題と共通するところがあり、これらの問題は人種も国家も関係なのだということが理解できるかも知れない。

2.イニシエーション・ラブ

初版本が出たのは10年前だが、今月映画化されたことで、再びネット上で注目されている恋愛小説。当ブログでも取り上げたので、詳細はこちらを参照して欲しい。ネット上での評価は「オンナは怖い」ということ。ヒロインの悪女っぷりを非難する意見が圧倒的多数だが、なぜ彼女がこういう女になったのかを指摘する読者はほとんどいないため、当ブログではあえてヒロイン擁護の記事を載せてみた。付き合っている男があんなDV気質だったら、そりゃオンナだって他の男に走るわ。それなのに、その原因を作った男には「自分が悪い」という感覚がないのだから、本当に腹が立つ。でもこういう男って、悠々と人生を送るんだよな。

3.オシムの言葉

ジェフ市原(現:ジェフ千葉市原)の監督として、日本サッカー界に旋風を巻き起こし、その功績が認められて2006年にサッカー日本代表監督に就任したイビチャ・オシムの半生を記したルポルタージュ。彼の一見穏やかだが、ずばりと本質を突く皮肉な言い回しは、彼が体験してきたことが影響している。旧ユーゴスラビア代表での、選手起用における様々な圧力をはねつけるには、相当強靱な精神力が必要だったはず。有形無形の圧力をものともせず、彼は代表の勝利のために全力を尽くす。凄惨極まりない内乱下での状況を生き抜いたのは、ただただ運がよかっただけとしか言い様がない。多種多様な民族が曲がりなりにもうまくいっていたい制度を壊した独裁者を、私は心の底から憎む。体調不良のために日本代表監督を退任せざるを得なかったが、もし彼がこのまま監督をしていたら、サッカー日本代表の行方は違ったものになっていたはずだ。なお、この本は改訂版が出る前のものである。

4.ビブリア古書堂の事件手帳ー栞子さんと奇妙な客人たち

テレビドラマになるほど話題になった作品であり、気になりつつもなかなか読む機会がなかった。一読して「面白い」と思った。何よりも、古本屋業界の内部事情がわかって興味深かった。部外者から見れば「たかが古本一冊」であっても、その本には前の持ち主の人生が詰まっている。前の所有者は、どんな思いを残してこの本を手放したのかを考えながら読み進めるのも一興。それにしても、ヒロインはあんな性格で、よく接客業ができるものだと感心してしまう。そして、コレクターの狂気ほど怖ろしいものはない。部外者からしたら「たかが一冊」なのだろうが、ファンからすれば「されど一冊」。とはいえ、コレクションのために他人を傷つける神経は、私には理解不能である。

5.ニセコイ(17)

「やくざの息子と米国マフィアの娘が、お互いの組織のために3年間『偽の恋人』を演じる』という、まるで戦国時代の政略結婚みたいな設定にドン引きし、アニメ二期の第1回を見なかった本作品。それでも「食わず嫌いはよくない」と思って第2回を見たら…これが面白いのなんのって。同時期にBS放送局「アニメシアターX(AT-X)」で第一期が放映されていたので、こちらもあわせて視聴してみたら…うん、いいわこの世界。第一印象が最悪で、お互い「3年間限定、それもこれも実家のため」と割り切っていたのに、時間の経過とともにヒロインは本気で相手に恋心を抱くようになる。最新刊は修学旅行で、ヒロインがこっそりと「彼氏」のところにお忍びで出かけていく。その表情がかわいい。年頃の女性は、恋をすれば変わるというのは本当なのだな。 さてこの二人の恋は、いったいどう変化するのでしょうか?

6.哲学散歩

メルロ=ポンティの哲学を平易な翻訳で日本に紹介するとともに、ハイデガーフッサールの思想研究で知られる哲学者・木田元の最後の著作である。古代ギリシャから現代哲学までの通史を、エッセイという形式で綴られたこの本である。著者の文体からは、穏やかな性格と豊かな教養、そして多彩な視点が垣間見える。自分もこのような文体をものにしてみたいなと思っているが、かなり頭がよくないと難しいだろうな。哲学と自然科学及び宗教学は密接な関係があるが、この本に収録された話で一番印象に残ったのは、自説を曲げなかったばかりに宗教裁判にかけられ、10年近くも牢獄に入れられたあげく、火刑台で火あぶりにされたイタリアの哲学者ジョルダノ・ブルーノの話。教会から見たら異端と思われる学説を片っ端から弾圧する17世紀という世界は、政権与党の勉強会で「(自分たちの意見に反対する)マスコミを懲らしめなければ」と発言する議員が跋扈する現代と重なっているように思えるのは私だけか?

7.数学ガールの秘密ノート 式とグラフ

大ベストセラーシリーズ「数学ガール」の入門編というべきシリーズの第1巻。「数学ガール」で扱っている内容はかなり高度なものであり、理解するにはよほど数学が好きであるか、論理的な思考能力が必要である。実際私も同シリーズの第1巻を読んでみたのだが、そこに記載されている数式は高度すぎて理解できず、後半は数式をほとんど流し読みし、登場人物の会話を理解することに注力していた(それでも、かなり難しいのだが)。 今巻では高校数学のすべての基礎となる「式とグラフ」の概念を易しく解説している。数学ガール本編と比べて丁寧に解説されているとはいえ、ここで解説されている内容を完全に理解するのには、高校数学の基礎の概念を理解する必要があることに注意して欲しい。「数学で展開される論理的思考とはなんぞや」「登場人物のやりとりを、純粋に楽しみたい」と思っている人以外は、手を出さない方が無難かも知れない。

「イニシエーション・ラブ」

ただし、この時代に青春時代を送った人間全員がこのような恋愛体験をしたと思っているのなら大間違い。バブル時代の恋愛は高学歴・高身長・高収入の「3高」男性だけがちやほやされ、大学生も俗に言う「日東駒専」以下のレベルに通う学生は、おそらく合コンでも相手にされていなかったのではないだろうか?因みに、著者は国立大学を出身の男性である。上記の事実に触れないのは、彼自身もそれなりにおいしい思いをしていたからに相違ない。 一度通読して、私は「たっくん」を「クソ野郎」と思ってしまった。地方大学に通う、自他共に認める「イケていない学生」が、たまたま参加した合コンで本作のヒロイン「マユ」と出会い、男女の関係になる。しかし彼は就職してして上京したとたん、同期でかつ自分よりハイレベルの女性と一線を越え、マユとの関係をあっさりと解消する。会社でも出来の悪い先輩を見下し、会社が持っているのは俺のおかげだ、という傲慢な意識を持つようになる。へぇぇぇそうですか、地方国立大学から東京本社に配属になったのがそんなに偉いのか?東京の大企業への就職を蹴って地元の企業に就職を決めたのは、マユのためだったのではないのか?それなのに、こちらは東京から往復4時間かけてマユに会いに来て(やって)いるのに、向こうはただの一度も東京に来ないのはなぜだ?と悪態をつく。恋愛経験に乏しい男性がはじめて女性を抱き、東京に就職して「エリート扱い」されるとここまで変わってしまうのだろうか?曲がりなりにも、マユのことを気遣っていたはずなのに、どこでどうしてここまで二人の間に距離ができたのか?私が違和感を抱いたのは、この話の主人公「マユ」が付き合っていた「静岡大学」の「鈴木」という男性にあった。Side-Aの鈴木は、合コンでの自己紹介で「静岡大学の数学科4年生で、就職先は富士通です」と名乗っていた。ところがSide-Bに出てくる鈴木は地元の企業に勤めており、出身大学を問われて「静岡大学物理学科」と答えているではないか!そして書評サイトで指摘されている違和感の理由がやっとわかった。ヒロインのマユが「たっくん」と呼ぶ「鈴木」は、「Side-A」と「Side-B」では全く違う人間なのだ!その証拠が「ラスト2行」に出てくるやりとりだ。下の名前が違っている!名字が同じ「鈴木」で、マユの呼び名が「たっくん」だから、気がつかない人が多かっただろう。普通の物語なら下の名前で書かれているはずだが、この作品では最初から最後まで「鈴木」は「鈴木」以外で書かれることはない、というのがミソである。 読書サイトを見ている限りでは、「マユ」の悪女っぷりを非難する意見が多い。だがこのカップルは本当にマユだけが悪いのか?と考えると、私は明確に「否」と答える。 鈴木が、ニュートンアインシュタインの区別ができないマユをバカにして泣かしてしまったこと。 ホテルでの初体験の時、彼女をいささか粗雑に扱ったこと(具体的な描写はないが、行間からはそのような出来事があったことが窺える)。 彼女の部屋探しに散々付き合わされたことを根に持っていること(彼女の優柔不断が気に入らなければ、さっさと別れればいいのだ)。 そして最高にムカつくのは、酔っ払って彼女をラブホに呼び出し、けんかになったあげく彼女を叩いたこと。マユが鈴木の浮気をとがめた時も、鈴木は逆上した様子を見たマユが「暴力はやめて」といっていることから、彼は恒常的にマユに暴力を振るっていたのだろう。ちょっとしたことでキレる男と、彼の暴力暴言に堪える女。なんだか、マユが哀れに思えてならない。 物理学科の「鈴木」(以下「物理」)が、マユとつきあい始めた頃からこのような態度をとっていたのか、本作では具体的な描写はない。だが彼の述懐を読む限り、マユのことを本気で愛していたかどうかはすこぶるあやしい。彼の横暴な態度に嫌気がさしたマユは、彼がいない隙を狙って他の男性と関係し妊娠する。うろたえた「物理」は散々悩んだあげく、彼女の「中絶する」という決断を受け入れる。「物理」の子ではないことは、彼女とのSEXの度に「物理」がコンドームをしていたという述懐から明らかになる。 数学科の「鈴木」(以下「数学」)と出会った合コンだって、おそらく「物理」の目を盗んで参加したのだろう。だが彼女は「数学」を一目見て、彼は御しやすい人間だと判断したようだ。「数学」は彼女に恋心を抱くようになるが、実際はマユがそのように仕向けたというのが正解だろう。この時点で、恋愛に関しては海千山千になっている(と思われる)マユにとって、この程度の男を籠絡するのはお手の物。「体調が悪い」といっていたのは中絶するためであり、「数学」にはじめて抱かれる時、執拗にコンドームにこだわったのはそのトラウマが残っていたからだが、女の機微を察する力が皆無である「数学」は、そんな彼女の事情なぞ知るよしもない。「数学」の童貞喪失の場面は「ああ、俺の時もそうだったな」と思う読者も多いだろうが(因みに管理人は…お察しください)、普通の男性にとって感動的な「童貞喪失の相手」が、男性経験豊富な女性だったと知ったら、「数学」はどんな気持ちになるのだろう。「数学」はその後もマユを一途に思い続け、クリスマスプレゼントを送るのだが、マユはそのプレゼントを喜んで受け取る一方で、元カレである「物理」からのプレゼントを送り返した… とまあ、とりあえずはマユに同情的な記事を書いてはみた。だが女ってやっぱり怖ろしいなあ。SEXだって、一度快楽の炎が点灯した女性は、男のスタミナが尽き果てるまで激しく燃えまくるというし(高学歴の女性ほどそれが顕著らしい)、従順にしていると思うとその陰で別の男を物色しているし、女というのは実に不可解な、そして不気味な生き物だ。「俺ってモテモテじゃん」と思っている男性諸君、そう思っている男性を女性は「なにあの勘違い男」とせせら笑っているのかも知れないのだよ。この本を読むと、男子が草食化するのも宜なるかな、と思わざるを得ない。 最後に一言。この作品は最近映画化されたのだが、この作品に必要不可欠なベッドシーンはほぼないらしい。因みにヒロイン役は「脱ぐ脱ぐ詐欺」の女優としてファンに認知されつつある前田敦子(写真集ではセミヌードを披露しているのに…)。彼女は「必要なら脱ぐ」といっていながら、今作でも脱いでいないらしい。いつになったら「完脱ぎ」するのだろうか?ファンは彼女の美しい裸体を拝める日を待っているのだが…。

「建築家、走る」

世界的建築家の、建築界に対する警告の書。 さて関係者は、彼の諫言をどう受け止める?

毎日忙しく世界中をかけずり回る、世界的建築家・隈研吾のインタビュー集である。この本を読むと、現代建築は「建築」だけの知識だけではなく、歴史・社会・政治・経済などの問題が複雑に絡み合い、これらの視点や知識なしに理解できないのだ、ということがわかるはずである。 この本を読んで最初に感じたことは、ヨーロッパとアメリカでは、庶民の住宅に対する感覚が180度異なっているということである。「住宅」は保守管理に手間がかかるから「借りるもの」であり、家を建てるのは王侯貴族という認識を持っているヨーロッパとは対照的に、アメリカは都市郊外の緑を切り開いて住宅地を開発し、庶民が住宅を持てるようにした。郊外の持ち家を手に入れた保守的な核家族が、緑の芝生の上でハッピーに暮らす」というコンセプトが確立され、それを実現する手段として住宅ローンというものが発明された。 第二次世界大戦後の日本はこのシステムに洗脳され「持ち家」システムを目指してしゃかりきに働く(働かされる)ことになる。「マイホームを持つ」ことを目標に日本経済は復興を遂げたが、その代償としてサラリーマンは一生を住宅ローンに縛られ、その妻は自宅に縛られる専業主婦になった。さらにバブル崩壊後は「二世代住宅ローン」なるものも登場したが、これも数十年後には廃れてしまうだろう。なぜならこのシステムは、土地も建物も永遠に価値が落ちない「土地本位制」が存在していることを前提としているからだ。しかし昨今の少子化傾向で空き家も増え、それに伴って土地の資産価値も下がっていくのは目に見えている。そうなると「住宅ローン」は無用の長物であり、田園調布、芦屋といったブランドに自宅を持ちたいと思う人以外、このシステムを使う人はいなくなるのではないか。現在豪邸を持っている家族も相続税が払えず、やむなく自宅を「物納」という形で税金を納めることになるかも知れないのだ(その代表例が、目白に大邸宅を構えていた田中角栄の子孫である)。時を同じくして、日本の建築界では「コンクリート最強論」がもてはやされ 「コンクリートは無限に永遠の強度を持つ」 「自由自在に造形できる」 というイメージが広まった。だがコンクリートは諸々の問題を抱えている上、ごまかそうと思えばいくらでもごまかせる素材であると彼は警告する。現代日本ではコンクリート製のマンションがもてはやされている。彼は 「(日本の建築会社は)マンションをうる技術だけが洗練されているが、イメージだけでは命は守れない」 という皮肉を吐くのは、地名だけで中身もよく知らないのに、カネだけは気前よくポンと弾む日本の消費者が多いからだろう。 その反対が木造建築で、これは丁寧にメンテナンスをすると、コンクリートよりも遙かに強い耐久性を得ることができる。いわれてみれば、日本には築何100年という古い木造建築が沢山あるが、これは関係者による丁寧なメンテナンスの賜だろう。だがこれらのことを、なぜか日本のメディアは触れようとしない。 とことん自然を無視した20世紀建築は、確かにトラブルや制約をなくして見せたが、その代償として建築現場を構成するものをすべて失ったと隈は語る。関東大震災に見舞われた日本建築界は、それがきっかけで方向性を見失い、それまでの木造建築を捨て鉄とコンクリート路線に走った。だが「3.11」で隈氏は 「鉄もコンクリート護岸も命を守れなかった。関東大震災前の日本の建築は「死」と共存していたのに、鉄とコンクリートは、その概念を忘れられてしまう。それは、自然を怖れなくなるなることと同じであることと同じだ」 と嘆く。 現在の日本における建築現場が「サラリーマン化」があちこちですすんでいるということに、隈氏は危機感を抱いている。昔の現場は現場監督が圧倒的権限を持っていたが、最近は「セキュリティ管理」の名の下、彼らの権限をすべて奪ってしまった。なぜならいまのゼネコンは「リスクを負いたくない、責任をとりたくない」という人間の集まりになってしまったから。たとえば、建物の段がわずか2㎜ずれただけで発注者からクレームをつけられたとする。相手の主張がムチャクチャだということがあきらかでも、自社の商品が「欠陥商品」だといわれたくない会社は、その言い分を通してしまうのだ。業界の保守化は、建築家にも影響を及ぼす。施主と建築家は表裏一体の関係であり、クレームが起きた時にどうするかが建築家の腕の見せ所なのだが、肝心の建築家もサラリーマン化し、デザインがどんどん保守化している。 現場が保守化しているのだから、学生はなおさらである。彼が建築を教えている大学では、受講生が提出した課題に文句を言うと「もういいです」と返答され、論争にも興味を示さないという。若手建築家も、建築という仕事は現実のドロドロのすべてが関わることを全部切り捨て、とんがった作品を一つ作り、世界で売れるようになりたいということしか考えていない。 「世界一」といわれる日本の建築技術も、彼にいわせれば「「ガラパゴス化の中の世界一の伝統工芸」に過ぎないという。いま世界中には多額の建築マネーが渦巻いているのに、日本の会社は海外に出て行きたがらず、中国や東南アジア市場でも後手を踏んでいる有様である。これに対して韓国は、どんどん世界市場に進出している。彼らは吸収力も学習能力も高く、民族間で助け合う意識が高い。かつての日本の長所が、どんどん失われてゆくことに、隈は歯がゆさを覚えるのだろう。 日本国内産業の「ガラパゴス化」が叫ばれて久しい昨今だが、これらを一言で纏めていえば、関係者が自己中心的になり、他者からの指摘に傷つきたくないという傾向が強くなっているからではないか。自分たちの論理を優先し、第三者からどう見られているかなんて気にもとめない。なあなあで不都合なことについてはしらんふり、あるいはとことん隠し通す。こんな人たちが業界の中心にいるのだから、組織だっておかしくなるよね。彼らが、日本が誇っていた美点をぶち壊している。その果てにたどり着くのは、どんな社会なのだろう?想像しただけでぞっとする。

「2015年5月の読書リスト」

安倍晋三は、どうしても自衛隊を海外に送り出したいらしい。 その背景にあるのは、外務省が抱えるトラウマ。 20年以上前の1991年に起こった湾岸戦争。ご存じの通り、日本は憲法九条がネックになり、自衛隊を海外に派遣することができなかった。そのかわりに軍資金を送ることにしたのだが、戦争終了後、イラクに占領されかかったクエートからは、礼状が送られることがなかった。このことを「軍隊を派遣しなかったから」と思った外務官僚達は、自衛隊の海外派遣の機会を虎視眈々と狙っていた。そこに安倍晋三の個人的な野心が加わったのが、いまの情勢である。 ということをぐちぐち言ったところで、何にも変わらないのだけどね。

というわけで、先月読んだ本の紹介。 先月はたった2冊である。もちろん、マンガすら読んでいない(そもそもカネがない><)

哲学用語図鑑哲学用語図鑑 読了日:5月13日 著者:田中正人
翻訳教室 (朝日文庫)翻訳教室 (朝日文庫) 読了日:5月15日 著者:柴田元幸

哲学用語図鑑

「あと20年くらい前に、こういう本があったらなあ」 それが、この本を最初に見た感想である。 「哲学入門」というタイトルのつく書籍は数多あるが、それらの多くはそれなりに理解力があることが前提になっているなど、大方の人間にとってはとても読みこなせないであろう。なぜならこれらの多くは、作者が「(読者が)これだけのことは知っていて同然」という視点で書いているからだ。そのため、多くの読者にとっては「この本のどこが『入門書』なんだ!」という憤怒の思いを抱かせ、哲学の世界から読者を遠ざけることになる。 この本に登場する哲学者は古代ギリシャから現代活躍する哲学者まで70人、彼らの思想をおさえておく上で重要な、本書に出てくる哲学用語は200以上。彼らが織りなす哲学の世界を、人物紹介のページは見開きでは4人、用語は1つの用語に1〜2ページで、イラストを用いて簡潔に紹介している。解説される用語自体が一般人にとって難解であり、理解するのは決して容易ではないが、一般社会に膾炙されている用語が多いことに気づく人は多いだろう。欲を言えば、東洋哲学や日本哲学(といっても佛教がほとんどだろうが)について紹介して欲しかったと思う。

翻訳教室

ポストモダン文学を中心に原題アメリカ文学作品の翻訳を多く手がけ、東京大学で長らく翻訳についての講義を担当するかたわら、翻訳について多くのエッセイを残している柴田元幸。この本は、彼が担当していた「西洋近代語学 近代文学演習第Ⅰ部翻訳演習」(2004年10月〜2005年1月)の内容を文字化したものである。この本には9人の作品が紹介されているが、その中には村上春樹の作品を英訳し、それを改めて翻訳するという授業も含まれる。 当然だが、それぞれの作家には「文体」があり、翻訳するには、彼らが持つ文体はもちろん、人生、背景となる出来事などを考慮に入れなければならない。一人称を「俺」にするか「私」 にするかはもちろんのこと、代名詞はどう表現するのか、一つの訳語をどうやって決めていくか、日本語の順番と異なる場合の処理方法などを巡り、教師と学生の間で喧々囂々の議論が交わされることになる。 余談だが、印象に残ったのは特別講義のゲスト・村上春樹の「作家に必要なのは体力だ」という趣旨の発言。高度な思考力を支えるのも、体力は必要なのか。

「酔うために地球はぐるぐるまわっている」

本書で取り上げられているのは、ほとんどがビールとウィスキー。 日本人だから、日本酒の話題をもっと取り上げろっての!

これまで数多くの著作を世に送り出している椎名誠だが、酒に関する著作は意外にもこれが初めてである。帯に掲載されたキャッチコピーには 「ビールが好きだ。イヤウィスキーも欠かせない。ワインだっていいじゃないか。ラムもサトウキビ畑の中でざわわざわわと飲んだらたまらないぜ。どぶろくにも目がない。雪に囲まれた古宿の囲炉裏を囲んでグビリグビリ……。なんだ、サケならみんないいんじゃないから、といわれれば頷くしかない」 とあるので、世界中の酒事情をとりあげたものだと思っていたのだが、内容を見てちょっとガッカリ。この本は全4章で構成されるが、半分はウィスキーとビールの話題に当てている。さらに我慢ならないことに、日本人作家なのに、日本の酒は日本酒・焼酎を含めてほとんど出てこない。最後の方に、どぶろくの話題がちょこっと出てくるだけである。スペースの大部分を占めているウィスキーとビールの話題にしても、出典を見て「ああなるほどな」と思わず苦笑した。どうやら酒造メーカーからお金をもらって書かれた、宣伝文とおぼしきエッセイなのである。かつて「週刊金曜日」の編集委員を務めるなど、硬派なイメージを持っていたから、趣味の話になるとみんなスポンサーには甘くなるのだなと思った次第である。 冒頭から文句たらたらモードになってしまったが、興味深い事実も沢山知った。憤りを感じたのは、旧ソ連時代の酒場で体験したことである。当時は昼間から酩酊する市民が多かったが、それは当局からの圧政と慢性的な物資不足から来るストレスを解消するためだった。しかし政府は市民に対し昼間からの飲酒を禁止し、これを破るものには容赦なく暴力を加え、留置所に3日間も留置するのである。市民の生活改善はおざなりで刑罰だけはやたらと厳しい政府の態度に、筆者は「禁酒法時代のアメリカよりも酷い」と憤る。政府がこんな調子だから、従業員の労働意欲も乏しい。レストランは、一度入ったが最後、最低3時間は外に出られない。料理を注文しても、店員は素っ気ない態度で「売り切れです」を繰り返すのみ。注文してすぐにでる料理はたった3品!従業員にはサービス精神のかけらもないが、驚いたことに、このレストランは政府幹部や観光客向けだというのだから、一般向けのレストランがどんな様子なのか見当がつく。 これと対照的なのは、ポルトガルの酒場である。木造のお粗末な建物は、50人はいればいっぱいなる規模なのだが、建物とは対照的に店内はオトナの雰囲気が漂い、これっぽっちも猥雑さを感じない。そこで提供される酒は、客がライターをつけて暖めるほどアルコール度数が高いのだが、それがまた最高なのだ。いい雰囲気になったところでファド(日本でいう「演歌」にあたる音楽)を歌う歌手が登場し、彼らが歌うファドにあわせて客は歌い、拍子をとる。なんと素晴らしい光景なのだろう。ばかでかい音響でがなる、ヘタクソなバンドしかいない旧ソ連の酒場とは偉い違いである。 本書ではこれ以外の地域の「酒事情」についても触れられている。メキシコの蒸留酒テキーラ」の名前は実在する村から命名されたものであり、その原料はリュウゼツランであるということ。首都メキシコシティーは標高は2,300mの高地にあるため、平地に比べると二日酔いのきつさが半端じゃないこと、ドイツで開催されるビールの祭典「オクトーバーフェスト」は、ドイツ全土から200万人やってくること。北極圏でアルコールが禁止されているのは、アルコール中毒で苦しむ原住民が多数でた過去がある事に由来していること。モンゴルの馬乳酒は期間限定、パブアニューギニアには、いまも「口噛み酒」の伝統が残っていること。ベトナムでは、コブラをバラバラにして焼酎に入れ、それを一気飲みにする風習があること…etc。 この本を読んでいると酒、特にウィスキーは生き物であり、手間暇がかかるということがよくわかる。蒸留所では蒸す麦は、4時間毎に人の手でひっくり返される。だから蒸留所は、3交代勤務である。ウィスキーを入れる樽はすべて手作りであり、ウィスキーを入れる釜も、形によって微妙に味が異なるそうだ。微妙に異なる味を巧みに混ぜ合わせ、一つの小品にするウィスキー職人には、熟練の技が求められる。 水も重要で、スコットランドでは、蒸留所に近い田畑における農業は、化学肥料の利用を禁じているほどだ。サントリーが蒸留所を持っている小淵沢と山崎に共通するのは、いい水がある土地だということ。鳥井信治郎が山崎に蒸留所を作ることに決めたのも、ここが桂川・木津川・宇治川の合流地点で、高低差があって霧が出やすいのが理由である。京都に近いため、第二次世界大戦での空襲を免れたことで、原酒の損失を免れたことは幸運だといえるだろう。山崎蒸留所には、長年貯蔵している原酒が沢山ある。もし空襲でこれらの原酒が失われていたら、会社にとっては取り返しのつかないことになっていただろう。42年ものの原酒の値段が50万するのも納得だ。 でも著者が一番好きなのはビールだろう。本書の第3章は「○○しながらビールを飲んだ」「仕事の後にビールを飲んだ」という話ばかり.そういえばこの人、かつてはビールのCMにもでていたんだっけ。小学校の頃、はじめてビールを飲んで「こんなのどこがおいしいんだ?」というのが筆者の「アルコール初体験」だったのに、中学生になると完全に「酔いどれ学生」になっちゃったのは、なにがきっかけだったのだろう。酔ったまま海で泳いだり(よく死ななかったな)、お金がないから合成酒で盛り上がったり、あげくは酒屋からビールを盗んだり、「飲み比べ」と称して決闘をしたりともうやりたい放題。端から見ると、こんなムチャクチャをして命を落とさなかったなと不思議に思うが、やっている当人達は楽しんでやっていたのだから、周りがあれこれいうのはヤボっていうことなのでしょう。 酒を愛する文人は数多いるが、それで命を落とした文人も、負けず劣らず多い。著者も齡70年を超えた。飲酒生活60年近く、彼の肝臓はどうなっているのか、他人事ながら心配になってくるのである。これからも肝臓をケアしつつ、楽しい「酒飲み」人生を送ってもらいたいものだ。

「名門高校人脈」

 

「あの有名人とこの有名人は、大学の同期(または先輩・後輩の関係)」という話はあちこちで交わされるが、「高校の同期(または先輩・後輩の関係)」という話はめったに聞かない。当事者やその友人が口を開かない限り、部外者にはわからない、ということが多い。 ところが、著者の友人や仕事関係の人は、大学の話になるとかしこまったことしかいわないのに、高校時代の話になると、とたんに生き生きとした表情になる人間が多いそうだ。高校のネットワークってどんなものだろう?という疑問が、著者にこの本を書かせるきっかけになった。 この本には、全国47都道府県で「名門」といわれている国立・公立・私立高等学校出身者についてまとめた本であり、一部の高校については校風・歴史・教育内容についても紹介されている。 とはいえ、この本は上記のこと以外についてはほとんど触れられていないといってよく、見る人にとっては単なる「学校紹介の延長」にしか過ぎないという人もいるだろう。「あいつとこいつは同じ高校」「あの著名人の出身高校はどこだ?」といった、辞典みたいな使い方をする分には多少有用かもしれないが、それ以外での存在価値は見出しにくい。 また、取り上げられている学校も、その地方でトップに位置する学校がほとんどでそれ以外はあまり取り上げられておらず、取り上げられていてもコラム程度でデータが少ない。そのため「文句をいわれそうだから、ついでに掲載してみました」という雰囲気は否めない。そのため当該校OB・OG以外の卒業生及び関係者が本書を見たら「何であの高校が取り上げられているのに、わが母校は取り上げられないんだ?」と不満をもつだろう。出展に関しては独自に取材した記事もあるが、中にはインターネットの記事を参考にしていると思われる部分も散見される。著者は仮にも「ライター」という肩書を名乗る以上、もう少し足を使った丁寧な裏づけ調査があってもよかったのではないか。一例を挙げれば、静岡県立静岡高等学校の記事。この学校は高校野球ファンなら誰でも知っている、高校野球の名門校であるが、同時に静岡県内でも一、二を争う進学校として有名である。そんな高校が、どうして毎年「夏の高校野球」静岡予選で、上位を争う学校になっているのか、不思議に思う人は多いに違いない。 静岡県には県立の進学校なのに、スポーツが強い学校が少なくない。野球では静岡高校・掛川西高校韮山高校、サッカーでは清水東高校藤枝東高校である。これらの学校は県立進学校なのに、スポーツの大会でもそれなりに結果を残している。その秘密はいったいどこにあるのだろうかと、かねてから不思議に思っていた。だがこの本では、静岡高校野球部が結果を残している理由について、毎年10人の生徒が「野球推薦」で同校に入学しているとあるだけである。 なぜ同校野球部が、毎年のように県予選である程度の結果を残すことができるのか?、今年(2015年)の選抜大会に出場した静岡高校の野球部監督と野球部副部長が、日刊ゲンダイの取材に答えてくれた。同校が導入しているのは「学校裁量枠」という入試制度で、静岡県だけが導入しているとのことである。これは私立高校の「スポーツ推薦入試」に相当するが、私立のそれと違い公立高校である以上、学力も重視される。裁量枠の条件と対象となる部活は各校によって異なるが、同校の場合、学校の授業について行けるだけの最低限の学力(同校の一般入試偏差値は71)・野球の技量が審査対象になる。この枠で入る生徒は年度によって違い、10人の年もあれば、1人も採らないことがあるそうだ。この入試を受けられる生徒は、県内の中学校に通う生徒だけだそうだが、同校の野球部を狙って他地域の中学二年生が静岡県内に転校した場合はどうなるのか、記事ではそこについての言及がない。 私立校の「スポーツ推薦」の場合、クラス編成は一般生徒と別クラス・別授業になることが多いが、静岡高校はあえて「裁量枠」で入った生徒を、一般クラスの中に入れるようにしている。「裁量枠の生徒」だけで固めてしまうと、一般生徒との間に溝ができるからだ。もちろん「裁量枠」で入ってきた生徒の学力は、一般入試で入った生徒よりも落ちるが、一般生徒もこの制度に理解を示してくれているという。彼らも、一般生徒とうまく人間関係を構築できているようだ。 ただ、気になる点が一つあった。私立校の「スポーツ推薦(特待生入試を含む)」で入学した場合、退部した時は学校もやめなければいけないケースがほとんどらしいが、この制度を利用した生徒が部活を続けられなくなった場合はどうなるのか、本記事ではそのことに関する発言がないのも気になった。ネットで調べたら、学校によって残れるケースもあれば、退学しなければならないケースもあるらしい。 本書では「大学」ではなく「高校」の人脈にターゲットを絞ったことは評価されるが、それだけといった感じである。各地域には、その地域の経済や産業を支える人材を輩出した商業高校・工業高校や、偏差値は低いかも知れないが、個性的な人材を生みだした高校も多数存在するのだが、これらの学校が世に送り出した卒業生は紹介されない。紙幅の関係もあり、偏差値や世間の評判が高い学校を紹介すればいいと著者は思ったのかも知れない(マーケティング的なことを含めて)。国立大学の附属高校には、職業科だけの学校も存在する(筑波大学東京工業大学愛媛大学の附属高校には、職業科だけで構成される附属高校がある)が、残念ながらこの本では紹介されない。著者の周囲の人間は、おそらく進学校・名門校出身ばかりで、底辺校や職業科系統の学校出身者がいなかったのだろう。続巻として「名門商業高校・工業高校」というタイトルの本を出してもらいたいものだが、作者にはその気があるのだろうか?

2015年4月の読書リスト

5月になったよ。 今年も1/3が経過したよ。 暦の上ではまだ「春」のはずなのに「夏日」「真夏日」になったところがあるってよ。 日は延びたのに、希望の光が差し込む気配がまるでないよ。 この国の最高権力者は「花見だ」「訪米だ」と浮かれ気分でいるけど、庶民はお金がないから花見や行楽どころか、日々の生活をどうやってやりくりしようかと頭を抱えているよ。 さてさて、今月も読書リストの感想いくよ。

ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻 (新潮文庫)ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻 (新潮文庫) 読了日:4月7日 著者:宮部みゆき
酔うために地球はぐるぐるまわってる酔うために地球はぐるぐるまわってる 読了日:4月17日 著者:椎名誠
進撃の巨人(16) (講談社コミックス)進撃の巨人(16) (講談社コミックス) 読了日:4月21日 著者:諫山創
建築家、走る建築家、走る 読了日:4月27日 著者:隈研吾

1.ソロモンの偽証: 第III部 法廷 下巻

全6巻、計3,000ページを費やした一大ミステリーも、この巻でとうとう大団円を迎えた。 最初の巻を読み終えたのが昨年暮れだから、足かけ5ヶ月かけてこの大作を読んだ計算になるのか。犯人は誰なのか、これからどんな展開になるのか、ドキドキしながら読んだな。ミステリー小説の楽しさを、久々に思い出した。 作者はこの作品を通じていいたかったのは、子どもは大人が思っている以上に、世の中を知っているということである。実際この話に出てくる大人達は、現実世界並みにふがいない人たちだらけだった。「不良三人組」がああなったのも、親たちが仕事にかまけて、子どもの言い分に耳を傾けなかったからでは?と思ってしまう。

2.酔うために地球はぐるぐるまわってる

帯のキャッチコピーが「シーナ初の酒エッセー」とあるが、取り上げられる話題はウィスキーとビールばかり。おい日本酒はどうした?日本人だったら、日本酒の魅力をもっと紹介しろといいたくなってくる。ウィスキーについてはまるまる2章割いているので、ウィスキーの歴史とその製法、現地の人のウィスキーに対する愛着、日本国内のウィスキー工場についての知識が得られる。ウィスキーの好きな人にとってはたまらないだろう。世界各地の酒場事情も、ほんのわずかだが知ることが出来る。それにしても、著者は中学生の頃から酒を飲んでいたのね。胃や肝臓は大丈夫なのかしらん、と思ってしまう。本人は酒が飲めて幸せだと思っているのだから、余計なお世話だとおもっているのだろうな。

3.進撃の巨人(16)

未曾有の大ヒットマンガも、いよいよ終幕が近づきつつある。今巻の最大の見所はヒストリア(クリスタ)の決断と、エレンの判断。彼ら二人の決断が、今後の物語の展開に、どう影響するのだろうか?ヒストリアとエレンの父・グリシャの因縁、そして実は呪われた家系だったヒストリアの一族。「対人制圧部隊」の首謀者「人切りケニー」ことケニー・アッカーマンの野望の原点も明るみになる。巨人を相手にしていた調査兵団の格闘技術と戦術が、人間にも通じるだとは。普段でかいやつを相手にしているから、スピードで振り回されたら不利になると思っていたから以外。ケニー、リヴァイ、ミカサの姓が「アッカーマン」である理由が判明するのは次巻かな?

4.建築家、走る

毎日毎日、国内外をかけずり回っている建築家・隈研吾氏のインタビューをまとめたもの。彼にインタビューしたのは、20年来一緒に仕事をしているフリーライター・清野由美。あとがきにも書かれている通り、隈の日常は超多忙であり、国内で10分だけインタビューに応じたかと思うと、翌日には海外出張というのは日常茶飯事。しかも荒涼ギリギリまで帝政とか遺筆が加えられるという、聞き手にとっては鬼のような日々。だが彼女は「一つの完成したイメージに向かっていく、その達成の予感」を励みに、この本の執筆に励んだ。 建築家のインタビュー集であるが、この本で触れられているのは建築論のみならず、社会のあり方、建築のあり方、建築家のあり方、果てはグローバル論にまで及ぶ。そして、一つ一つの言葉に重みがある。この本を読んでいると、物事を多面的に捕らえることの重要性を痛感させられる。現政権のお歴々にぜひ読んでもらいたいと、切に願う。