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Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

「戦争に強くなる本 入門・太平洋戦争―どの本を読み、どんな知識を身につけるべきか」

小泉内閣が発足した2001年、日本国内は一冊の教科書をめぐって、国内を二分する大騒動になったことを、みなさんは覚えているだろうか?。 その教科書とは、新しい歴史教科書をつくる会(以下「つくる会」)が編纂した「新しい歴史)」である。この教科書は他社発行の教科書に比べて復古調が著しく強いのが特徴である。歴史上「存在したかどうか」あやしいと思われる日本神話の概念を大々的に導入し、国民に「忠信報国」の精神を植え付けようとするなど、いろんな意味で問題が多い「教科書」である。この「教科書」の採択をめぐり、採択派と反採択派の間で大論争を引き起こした。朝鮮半島における日本の植民地政策を肯定していること、日中間における歴史認識問題の火種の一つである「南京大虐殺」を否定していることから、中国や韓国などのアジア諸国もこの教科書にあからさまな不快感を示した。激烈を極めた採択・不採択運動の結果、大多数の公立学校では不採択になったが、一部の私立学校や養護学校では採択が決まった。「つくる会」はその後運動方針を巡って分裂したが、その後継団体が発行する教科書を採択する学校は今もある。彼らは戦後の歴史教育を「自虐史観」と非難するが、昨年(2015年)、晴れて100歳を迎えた三笠宮崇仁親王は「南京大虐殺」について 「人数ではなく、実際にあったことが問題なのだ」 として、南京で虐殺が起こったことを認めている。しかし右派・復古派の多くは、その発言を黙殺している。この本は、「つくる会」の教科書採択騒動が落ち着いた頃に出版された。田原総一郎がとあるシンポにパネラーとして出席したとき 「1990年代以前の歴史書は左派の視点で書かれたのが多かったが、それ以降の歴史書は保守・反動の視点で書かれたものが目立つ」 と指摘しという話を聞いたことがある。私は著者のことをよく知らなかったために、この本もその視点で書かれたものであるという先入観を持っていたのだが、最終章を読んで「この著者は信用できる」と確信し、我が家の書庫に収まった。ちなみに初版のオビには 「日本はなぜ戦い、なぜ敗れたのか。『事実』に近づくためのガイドブック」 「『新しい歴史教科書』よりも正しい戦史を読もう」 と書かれている。実際、この本はもっと広く読まれるべき本であり、これだけ読めば日本近代史の最低限の知識が身に付くようになっている。この本を日本近代史の入門書として位置づけ、この本で推薦されている本を片っ端から読み進めれば、あなたの日本近代史の知識はかなりのものになっているだろう。 この本では、ベストセラーになった自称「ゴーマニスト」漫画家・小林よしのりの書いた戦争論を、最終章「買ってはいけない」に設けられた「話にならない」という項目で扱っている。彼の「戦争論」は、絵は迫力はあるがお世辞にもうまいとはいえず、一時の感情にまかせて書かれた文章はまるで筋が通っておらず、歴史的な間違いが多すぎるため、読み通すのにはかなり根気がいる作品である。同じ事は著者も感じていたようで、のっけから「このマンガ、見るたびに疲れる」とぼやいている。この本は小林自身に専門的な軍事知識がなく、偏向した思想の持ち主から薦められた本を片っ端から読みふけった結果としてできたものらしい。内容があまりにひどいために、水木しげる石坂啓らが中心になって「反・戦争論」なる本が出版されほどで、反戦主義者からは完全に「トンでも」本扱いされている。著者は本書で 「本もろくすっぽ読まずに目を通すのはマンガだけ、という人間がそんな本を読んで、多少は戦史を勉強したつもりになっているとしたら困ったものだ」 と嘆いているが、その通りだと思う。 「歴史は繰り返す」という言葉があるが、この本を見て感じることは、日本はいったい先の大戦から、いったい何を学んだのかということである。メディアは戦時中 「すすめ一億火の玉だ」 「撃ちてし止まん」 という勇ましい言葉で国民を煽っておきながら、いざ終わったら「一億総懺悔」の言葉とともに責任の所在を曖昧にしてしまった。 大本営の参謀達はもっとひどい。インパール作戦では、作戦遂行上の基本である補給(今でいう「後方支援」)を考慮に入れず、参謀本部の地図だけを頼りに作戦を練っていたという。参謀本部の中には 「現場はジャングルなのだから、仮に食料がなくなっても野草でしのげる」 などと平然と発言する人間がもいたそうだが、この話を聞いて頭がいたくなる人間がほとんどだろう。高級参謀になるには、陸大(陸軍大学)、海大(海軍大学校)」で実施される「ペーパーテスト」で高得点をとる必要がある。だが士官学校や各大学校で教えられる内容は、日清・日露戦争での勝ち戦をマニュアル化されたものが中心で、他には「戦時訓」に代表されるような、精神的なものが重視された。ここまで書いたら、賢明な人は昔の士官学校教育機関でどんな教育がなされていたか、おおよそ見当がつくだろう。近代戦に必要な知識が皆無な彼らは、一部の例外を除いて前線に出撃しなかった。出撃しても上官の命令を無視して、平然と安全な場所に勝手に戻ってイスにふんぞり返り、自分たちの責任を回避することに汲々としていた。「昔軍隊、今官僚」と皮肉った新聞があったが、この体質は今の官僚達にもしっかり受け継がれている。 兵器の生産及び運用面に関しても、陸軍で使う鉄砲は職人芸が頼りで大量生産ができず、設計図は「あってなきがごとし」。インフラ整備も進んでなかったから、飛行機の部品は牛車(!)で運んでいたという。飛行場まで運ぶ道路が舗装されておらず、精密機械である飛行機が壊れないようにという配慮だったらしいが、この他にも「神の国」といわれた、第二次大戦中の大日本帝国の内情の呆れた実態があますことなく明らかにされている。戦闘機のパイロット育成も一部エリートだけを対象にした教育だから、戦争後半にはまともな空中戦ができるパイロットがいなくなった。さらに飛行機は陸海軍でつまらない意地を張り合った結果、規格がまったく違う飛行機だらけになった。「昔は全国民が一致して国防に当たった」という意見が時たま出てくるが、これらの事実を知る限り、そんなのはウソッパチであるということがこれでわかるだろう。この記事で取り上げた事例はほんの一部に過ぎず、他にも「茫然自失」のエピソードがポンポン出てくる。 兵器生産システムも確立せず、教育も一部 エリート育成だけに全勢力を注ぎ、「国体」という名の「天皇制」崩壊を怖れて(というか、国民の権利意識を怖れていたのかもしれない。だから共産党を徹底的に弾圧したのだろう)、一般庶民のレベルアップには何ら関心を持たなかったツケとなって回ったのである。つい最近も「凡才は、お上に逆らわない程度の知性があればよろしい」という高名な作家の意見を読んだが、この本を読み通せば、この意見は極めて危険であるということがこれでわかるだろう。 この本が出版された2001年当時に比べて、日本国内の右傾化は進む一方である。本書で批判対象になっている小林ですら、かつて自分を支持していたネトウヨについて 「国家というものを持ち出しさえすれば自分自身の自意識を底上げできる、という人間が増えた。立場の異なる人を『左翼」』だとか『売国奴』などと非難しつつ、自分は尊大に振る舞う、そのために国家や日の丸が利用されてきていることに、わし自身は嫌悪感を覚えることがある」 「ネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っておけば保守なんだ、愛国者なんだと思っている」 と批判しているが、自分で「右傾化」の端緒となる本を出版しながら今さらそれはないだろう、と突っ込みたくなる。 安倍政権が歴史修正主義を強めている現在、是非とも読んで起きたい一冊なのだが、今ではネット上での古書店が頼りというのが寂しい。