Révision Du Livre

平和を愛する男がチョイスするブックガイド

2015年12月の読書リスト

当ブログを訪問してくれる皆様、明けましておめでとうございます。 このような無名ブログをいつも訪問していただき、いつもありがとうございます。 旧年中はお世話になりました。 本年もよろしくお願い申し上げます。

・・・という時候の挨拶もはばかれるような暗い雰囲気ではじまろうとしている2016年である。 日ごとに家計を逼迫するエンゲル係数もさることながら、国内では有事法成立、国外では「イスラム国」の脅威、世界各地で収まる気配が見えない民族紛争など、争いの火種は世界中に広まりつつあるようで不安だ。市井の庶民にとって最大の不幸は、現在ほど発想の転換が必要だというのに、国内外の政治家が依然として「国家」という概念に凝り固まっていること。現代政治の世界こそ「グローバル化」という大きな視点が必要なのに、その概念は経済の世界だけに止まり、しかもそれが世界中で格差拡大と貧困層の増加をもたらすという現実に、多くの指導層が目をそらしている有様を、我々はどう受け止めればいいのか。 国内における反戦運動の動きも鈍い。大学の先生たちががんばっているのは認める。だが将来を担うであろう学生たちの動きが、SEALDsなどごく一部にとどまっていることに、多くの大学教員たちは一様に 「イベントを開催しても、参加者のほとんどは一般人ばかりで、肝心の学生はほとんど参加しない」 と嘆く。 学生の側から見れば、就職のことで頭がいっぱいで、そのことにまで気が回らないというのもあるだろう。だが私からいわせれば、これは大学教員の常日頃の言行が、学生の態度に重大な影響を及ぼしているのではないだろうか?と穿った見方をしてしまう。「日本の将来が危ない」といいつつ、教室内では学生に尊大な態度で振る舞う教員たち。そんな彼らに対し、教え子たちは 「いい気味だ」 「俺たちをバカにした報いだ」 と、冷ややかに見つめているに相違ない。世間で言うところの「一流大学」の学生ほどその傾向は顕著で、彼らの多くは 「俺たちはがんばって一流大学に入ったから、戦場に行く可能性を回避できた。いざ『開戦』になったら、戦場におもむくのは頭の悪い二流・三流大学の学生か、大学に行けない引きこもりだろう」 とでも思っているのだろう。もしそう思っているとしたら、本当にゾッとする世界観である。 という愚痴を言ったところで、精神的に楽になるわけではない。声高に「反戦」といわず「とりようでは世間にもそもそと異を唱える」やり方の方が、今の時代ではもっとも賢いのかも知れない。

というわけで、先月読んだ本の紹介である。

 

ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育 読了日:12月10日 著者:菅野恵理子
ウィッチクラフトワークス(9) (アフタヌーンKC)ウィッチクラフトワークス(9) (アフタヌーンKC) 読了日:12月16日 著者:水薙竜
進撃の巨人(18) (講談社コミックス)進撃の巨人(18) (講談社コミックス) 読了日:12月22日 著者:諫山創
赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1) 読了日:12月22日 著者:スタンダール
平和学の現在平和学の現在 読了日:12月28日 著者:

ハーバード大学は「音楽」で人を育てるー21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育

この本を読むと、日本では美術・音楽・演劇といった「情操教育」がないがしろにされていると思う。それよりもこの本の読者は、あの天下のハーバード大学で、普通の音楽大学と同等、いやそれ以上の教育を受けられると知ると、飛び上がらんばかりになって驚くに違いない。これはアメリカの大学教育関係者が、世界で通じるエリートを育てるためには、芸術の素養が不可欠だと理解しているからである。日本でも国際基督教大学ICU)が「ダブルメジャー制」を導入しているほか、主専攻・副専攻制度を導入している大学もあるが、それは本場のシステムとは似て非なるものであると思っている読者もいるのではないだろうか。後半では、欧米諸国による音楽教育の歴史及び、音楽と哲学の密接な関係をについて述べられる。ヨーロッパの哲学思想が、江戸時代の日本に導入されていたら、日本の情操教育も、もっと違った展開になっていたのではないだろうか?

ウィッチクラフトワークス(9)

物語開始以来「肉食系」ヒロインが「草食系」主人公をひたすら守る展開が続いてきたが、ここに来て真相に近づいてくる…と思っていたら肩すかしを食らう。ただ、仄の過去の一部が読者に明かされているから、なぜヒロインが彼に執着する理由が明らかになる日も遠くないだろう。今巻の話の中心は、妹が現実世界で再現した妹の妄想だが、 妹のブラコンぶりは、端から見ても異常である。ヒロインの仄に対する執着っぷりも、もはや「ストーカー」の範疇を超え、どう表現したらいいのかわからないほど。現実世界でこのような関係になったら、血で血で争う事態になることは容易に想像できるが、この話でそういう展開にならないのは「どんなことがあっても仄を守る」という点で両者の利害が一致しているから。知名度という点では地味な存在だが、作者が綴る世界観は、市場に溢れている質の悪いラノベよりも遙かに上質である。このマンガに触れる度に、さっさと真相が明らかになって欲しいと同時に、この物語がずっと続いて欲しいと願うファンは多いだろうね。

進撃の巨人(19)

真相が近づいたと思ったら遠のき、近づいたら遠のき…というじれったい展開が続いてきたが、どうやら今度こそは本当に真相に近づきそうな予感がする。キース教官が調査兵団団長時代に抱いていた野望とその挫折、それを知ったハンジの激高。それにしても、今巻は「どっかで見たな~」という展開が多すぎる(手抜きしている、とまではいわないけど)。エレンとジャンの殴り合い、夕食時に供給された肉を見たサシャが狂喜乱舞する場面、そしてエルビン団長の号令…。今回のウォール・マリア奪回作戦では調査兵団に加え、マルロ、ヒッチら憲兵団も作戦に加わる。だがエレン奪回作戦や「対人立体機動部隊」との激戦で、調査兵団は経験豊富な戦士を失っている。その上、その補充として参加している憲兵団は、常日頃の訓練を怠っているから、戦力として計算できないのがつらい。そして「鎧の巨人」と対峙するエレンたち。この闘いはどんな決着を迎えるのだろうか? 連載から7年を迎えたが、作中ではまだエレンたちが調査兵団に入団してから3ヶ月しか経っていないことに驚く。そしてWikipediaを見ると、この話は25巻前後で終わる予定だという。つまり、まだ2年は続くということ?いい加減終わりにした方がいいと思うのだが。

赤と黒(上)

1820年代のフランスを舞台に、立身出世を目指す貧しい木こりの子(この文庫本では、彼はそれなりに裕福な木材商の子弟とされている)・ジュリアンの野望と転落を描いた、スタンダールの小説。世界史の歴史に載るほど有名なのに、今まで読む機会がなかった。安倍政権発足以来、日ごとに高まる「反知性主義」に対抗するためには古典を読むのが一番だと思いながら書店内を散策していて、たまたま目に入ったのがこの本である。 主人公ジュリアンは実家を出て、地元有力者・レナール家の家庭教師になる。ほどなくして主人の妻・ルイーズと恋愛関係になり一線を越えた関係になるが、主人は二人の関係に疑念を持ち、レナール家に気まずい空気が流れてしまう。主人公の立場をおもんぱかったルイーズは、彼を神学校に入学させることにする。ジュリアンはレナール家の一員になって以降、上流階級の持つ欺瞞性を嫌悪していたが、神学校入学後はその思いを強めていく。彼は自らの知性と美貌を武器に「上流階級」に一泡吹かせようという野心を抱くようになる。 階級間の格差が広がりつつある現在、ジュリアンと同じ野望を抱く人間は増えていることだろう。問題はその野望が「世間をよくしよう」という方向ではなく、自己顕示欲に向かう人が多くなるのでは?ということである。1820年代のフランスに流れる空気が、現代日本にも漂っているのだろうか?

平和学の現在

この本も、世界がきな臭くなるたびに読み返してきた本の一つである。国際関係学と平和学は似たような顔を持つが、前者は政治経済をメインに、時に地政学歴史学の視点を織り交ぜるのに対し、後者は前者の視点に加え、環境・文化・社会学・自然科学・保健学などさまざまな視点から、問題の本質に迫っていく学問である。ご存じの通り現代社会は時の経過とともに混迷を深めており、問題解決のためには複数(当然二つ以上、時に三つ以上)の視点を持つことが不可欠である。しかし、そのことの気がついている専門家はまだ少ないのが現状である。 この本では冷戦が厳しかった1980年代前半にイギリスの大学で開催されたワークショップで、2050年までに世界中から兵器が消えたという世界が紹介されている。その世界では、米英仏露中の、国連安保理事会常任理事国が持つ拒否権が剥奪され、世界中の軍事費凍結が国連総会で可決され、2020年までに世界中の核兵器が全廃されるということになっている。だが実際はどうだろう?現状では拒否権剥奪はおろか世界中の軍事費凍結は夢のまた夢という有様である。「イスラム国の脅威」が日ごとに脅威を増し、ローマ法王から「現在は第三次世界大戦が始まるかのようだ」という発言が出る中、世界中で「反戦」の声を訴える声に圧力が加わらないかどうか、不安になってくるのである。